病気を悪と決め付けない

病気は悪か?

現代(西洋)医学の考え方では、「病気」は悪でしかありません。痛みなどの体調不良を良くない状態としかとらえず、治療によって一刻も早く症状を消し去ることが医療の最重要課題と考えられています。

この考え方は、いわば病気のプロである医療に携わる人間だけでなく、広く一般の人たちにも浸透しています。

しかし、常に変化している体の一時的状態で痛みや不調を、単純に悪と決めつけ、異常な状態、異物として認識することは、なぜ、そういう状態になったのかという体の都合を無視することにつながります。

特にガンなどの物理的にカタチになったものは、異物として対象化しやすいため、手術で切除したり、抗癌剤や放射線で異物を攻撃し死滅させることしか、治療の方法がないとい考えられています。

ガンは元々は自分の正常細胞であり、ガン化しても自分の体の一部であることに変わりはありません。ガンと正常細胞の境界線はあいまいなので、完全に切除できるケースは限られ、攻撃によって死滅しようとすれば、正常細胞も同時に殺すことになるので、限界があります。

また、攻撃が成功したように見えても、元々自分の一部であったさ細胞が変化したものなので、その原因を解明し問題解決をしなければ、再発のリスクは常に抱えていることになります。

病気は心と体のメッセージ

症状は体のメッセージ

現代西洋医学が切り捨ててきたもののひとつは、「病気や不調は心身からのメッセージである」ということです。不調や病気は、望ましい心身の状態からの警告であり、単にそれを消すことを求めているわけではなく、生活習慣や体の使い方、心の持ち方、考え方、感情のありように対する変化を求めているのです。

そう症状をとらえれば、症状は心身を望ましい状態に導くために必要不可欠な作用であり、単純に排除することだけを考えるとすれば、より深刻な状態になる新たなリスクを抱えることにつながるとも考えられます。

「病気」が伝えるメッセージは、ひとつとは限らず、複雑にからみあい、重なっていることがあるようです。

「仕事が忙しく、無理しているので、もっと休養が必要です」というのは、最も一般的でわかりやすいメッセージですが、心の問題に関係するような、本人の人間関係や社会との関わり方、価値観、世界観に再考を促すようなレベルのものもあるようです。

身体(心と体)からのメッセージを汲み取るためには、症状だけにフォーカスしていては不可能です。自分の現在の生活や人間関係を観察し、生い立ちにまで遡って振り返ることが必要なケースもあるようです。

長期化し慢性化した病気や症状から回復するためには、しっかり「病気」「不調」と付き合おうという逆転の発想もときに必要かも知れません。

不調を異物、悪として認識し、攻撃し排除しようとする考え方や認識の仕方は、自分の頭(顕在意識)で身体(深層心理、潜在意識を含めた心と体)をコントロールしようというものでもあります。

仮に、不調や病気の原因が、心身の都合と能力を超えた酷使にあるとすれば、異物としての痛みや不調の排除を目的としての頭で考えた「治療」が意味することは、不調の原因を押さえ込み、今までのやり方(心身との付き合い方、使い方)をそのままにしてさらに強化することにつながります。いわば、さらなる頭(顕在意識)による心身のコントロール強化です。

その結果と生じる可能性が高いのは、同じ症状や病気がさらに強化されたカタチで発生するということです。

我々は、頭(顕在意識)で身体をコントロールしているわけではありません。心臓は鼓動しろと意識で(顕在意識)命令しなくても、自動的に動いています。口から食べ物を入れれば、消化器官は自動的に働きだし、栄養分を体内に吸収してくれます。毒物を食べれば、頭で考えなくても、身体が反応して(下痢や嘔吐)体外に排出してくれます。深層心理も含めれば、我々が意識的にコントロールしている部分はごく表面に過ぎません。これらは主に自律神経という体の制御システムが行なっています。

自律神経が体を管理

つまり「病気や不調と闘う」という考え方だけでは、自律的、自動的に我々を快適な状態で生かしてくれている生命力(自律神経、免疫系など)に介入し混乱させるような背反する状態になるリスクがあると思われます。

一時的に不快な状態にすることで、身体を意識させ、改善を促しているだけなのに、そんな身体(と心)を責めたり疎ましく思ったりするよりも、メッセージに耳を傾け、どうして欲しいのか思いやるほうが、回復への確実な道筋だと考えます。

不調や病気に罹った自分の身体を疎ましく感じ、なかなか回復しないことを責めたりすることは、重い荷物を背負って長い距離を歩いてきて、疲労困憊のあまりとうとう倒れてしまったロバや馬を鞭打つようなものです。

そんな身体を責める気持ちや考え方そのものが、不調や病気の根本的な原因のような気がします。

責めたりする気持ちを止めることによって、最適な治療方法がわかってくると思いますし、治療の効果も高まり、身体が自発的に回復に向かっていくのです。

症状だけ解消しても健康とは言えない

体の表面に近い部分の痛みや違和感、しびれ、皮膚の湿疹、できもの、などを無くすることが「治療」だと思っている人が多いようです。

しかし、症状は体が一定の状態=健康、を保つために不要なものや活動のために発生しています。

それを押さえ込むことで、表面的には「治った」と思われるでしょうが、根本的な原因を放置していれば、それが、表面からもっと深い部分や別の部分に移動してしまうだけです。深い部分とは内臓や神経組織などのことです。そうなると治療は難しくなってきます。

根本的な原因をとは、生活習慣やそれが体に反映した結果としての体の歪みなどです。

一時的な痛みや症状解消のための薬や施術、治療ではなく、生活習慣の改善も含めて歪み解消の施術や治療をすることで、症状の解消には多少時間がかかったとしても、体はじょじょに回復してきます。

症状の解消に一喜一憂するのではなく、体全体が整ってくる感じを大切にしていけば、その先には、より快適で楽しい生活が待っていることでしょう。

無病息災より一病息災

一病息災

病気は悪い状態というのが常識ですが、果たして本当でしょうか?

生きていれば、病気の一つや二つ、必ず罹ります。「生きていれば」というところがポイントです。生きているということは、体が変化し続けているということです。

病気も体の変化と捉えれば、病気=悪い と単純には言えなくなります。だから、病気に罹ることが絶対的に悪いのではなく、回復しないことが悪いことなのです。

外部から病原体が侵入したら熱が出ます。熱が出ること(症状があること)そのものが悪い状態と捉えていると、それを消すことだけに集中することになります。

体の防御反応として、病原菌と戦うために熱を発しているわけですが、熱を下げることが治療だと思い込むと、体が正常な状態に戻ろう、病原菌を撃退しようとしている働きを阻害することになります。

例えば、最も一般的な病気である風邪ですが、一定の体力のある人なら、命に別状のある病気ではありません。

にも関わらず、風邪にかかったと思ったら(熱が出る、鼻水が出る、咳が出るなど)、即効で風邪薬を飲む、病院に行き抗生物質などを投与してもらうという処置をする人が多いと思いますが、これも風邪を治療すというより、風邪を潜伏させ長引かせるためにやっているようなものです。

風邪などの症状は、ある程度の体力がないと発症しません。熱が出る、鼻水が出る、咳が出る、下痢をするということは、体が正常に反応しているということです。

私の父は癌で亡くなりましたが、死ぬ1~2年前に母が言っていた言葉が記憶に残っています。「お父さんはこの1年ほど風邪もひかない(だから健康だ)」今考えれば、風邪を引いても(ウイルスに感染しても)それを撃退するために症状を表に出す体力が無くなってきていたのだと思います。

風邪をひかないことが体力があり健康の証のように考えている人は、多いと思いますが、実際は、風邪もひけないほど、体の芯の部分が疲れている、あるいは、緊張の連続で症状を表に出せない状態ということは、十分あり得ることです。

適度に風邪をひき、すぐに治ってしまう人の方が、本当に体力があり健康な体(整体)だと思います。

風邪などのちょっとした病気や症状をこまめに経過することで、ウイルスやストレスなど体を壊す刺激や要素を、その都度排除して健康体(整体)に戻していると診た方が、本質的に正しいと思っています。

風邪もひかない(ひけない)人は、中年以降にある日ドカッと体調を崩して、大きな病気をするリスクは高いようです。

整体をして、一時的に痛みが増したり、痛み出したり、コリを感じるようになったり、汗が出てきたり、施術中にトイレに行ったりするのは、施術によって、体がちゃんと反応できる状態になってきたということです。

出すべき症状や老廃物などを、汗や尿などの体液(出血した人もいましたが)と一緒に早く出し切ってしまった方が、体は早く回復するものです。出すべきものを抑えると、回復は遅くなります。

無病息災より一病息災の方が本当だということでしょう。

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