自己紹介

シャーマンになりたかった20代の頃

20代後半の頃の、社会性を無視した夢は、シャーマンになることでした。

なんでかと、20年以上も経った今となっては思うのですが、友人に夢を聞かれたときに、現実的なことを無視してもいいという条件だったら、成りたいのは呪術師(シャーマン)だと答えたのをおぼえています。

海外での体験とタイで知り合った日本人に紹介されて呼んだ「呪術師に成る」などのカルロス・カスタネダの一連の著書の影響が大きいです。

その後、カスタネダがインディオの呪術師に会い、物語の舞台となったメキシコのオアハカにまで行ったのも、その影響が残っていたことは間違いありません。

ネパールやインド、バリ島などに滞在していたときに、マジック・マッシュルームなどの幻覚性の植物を体験したことがあります。日本では禁止薬物、覚せい剤やコカインといっしょくたにされているようですが、インドの行者や南米などの呪術的な儀式では、サボテンなどから採取したものが使われていることが、シャーリー・マクレーンなどの著作でも紹介されています。

カスタネダの著作でも同様ですが、幻覚性の植物を使う目的は、ストレス発散やスリルや興奮を楽しむためではなく、我々が通常持っている現実感覚から別の次元の現実感覚に移行するための手段としてです。

深い瞑想でも、その感覚は得ることができるようですが、最初は唯一の現実だと思っているものが、実はひとつの観方でしかないことを気づくきっかけとしては、幻覚性の植物は有効だと思います。

現実と異次元の世界を行き来するシャーマン

シャーマンというのは、我々の知っている現実と違う次元の現実を行き来できる存在だと思いますが、なぜそんなものになりたいと思ったのか考えてみました。ひと言で言うと現代の我々が持っている現実感覚というのは、社会制度にがんじがらめにされていますが、世界の本質は別のところにあることに気づいたからだと思います。

我々の「現実」は利害関係に基づいています。愛と友情や信頼が基盤だと言いたいところですが、社会的損得勘定を度外視して成り立つ関係など、そうそうあるものではありません。親子、友人関係ですら、その影響を受けていることは、冷静に関係を観察してみれば納得できると思います。

別次元の現実では、そんなことは問題にもならないし、気にもなりませんでした。唯一存在しているのは、永遠の現在だけで、損得勘定などは、時間感覚と自己保身、社会的立場の感覚があるから必要になっているだけのことだと気づきました。

現実を超えた存在…シャーマン

社会関係の中にあって、現実感覚を変えることができるシャーマンという存在は、ひょっとしたら死をも超越する存在なのではないか?その意味では究極の自由人であり、世界の真理と一体化した存在なのではないかと感じた、というのが、シャーマンになりたいと思った動機のような気がします。あれほどの自由と世界との一体感を感じたことは、今も昔もありません。

でも、思えば、海外放浪の後に、版画家や画家を目指してアトリエに通ったりしたことや、今の整体師という仕事(民間手技療法師)に興味を持ち、仕事にまでしてしまったことは、もとをたどればシャーマンになりたいというのがどこか心の根っこのところに残っているからだと思います。

全ては関係性の内に

優れた歌手の歌は、リスナーの感情のメディア、触媒になれる人だと思います。そんな歌手の歌を聴くことで、さまざまな想いが呼び出されてきて、驚きと感動を同時に味わうことがあります。

優れた手技療法家は、受け手の体と潜在意識にアクセスできる人です。体が心が魂が何を求めているのか?それを察知して、欠けた部分に手技や想いで埋め合わせするのです。

歌も曲も絵も、そして手技も、奏者、操者、作者とそれを受け取る受け手が必要です。どちらが欠けても、作品として、行為として成立しないのです。操者と受け手の協同作業の中に全てはあるのです。

この世の全て、少なくとも、生命体の存在全ては、関係性の中にあります。関係性の内にしか物事は存在しないし存在できないのです。相互関係、相互作用。これがこの宇宙が存在する唯一の力、パワーなのだと思います。

だから、何事も何人に対しても、一方的という態度は、関係を壊す方向にしか作用しません。表面的には関係が続いているように見えても、一方通行の関係など、無意味です。一時的に相手の特性を利用しているだけのことだからです。そんなものは、少なくとも、生命体同士の関係ではありません。

20代の頃、成りたかったのはシャーマンです。呪術師。今は整体師として社会に居場所を得ています。30代の頃は、画家、版画家になりたかったのですが、成り損ねました。

今は、体と心そして魂が傷ついている人、弱っている人を、本質的な意味で癒す人になりたいです。それがシャーマンだと思うからかも知れません。成り損ねた画家も、仕事として成立している整体師も、その過程なのかもしれないと思うことがあります。

人の心が奥底の心理が伝わってくることがあります。でも、それが怖いことも…。だから知らん振りするのです。人の心がわからない振りをする。

敏感すぎると、とかくこの世は生きづらいことが多いからです。若い頃は、人の思惑や心の状態を、半ば無意識に無視してたような気がします。利己的だったのです。でも、決して自分は鈍感ではなかった。そのことを、思い出しました。

全てが関係性の中に存在すると言っても、自分の本気や本音を出すことを怖れてはいけません。世間や他人との釣り合いや従来の関係ばかりに配慮し遠慮してると、自分の力を出し切れずに、後悔のうちに人生は終わってしまうでしょう。

それは、この世に生を受けた選ばれた存在としては怠慢だと思います。浮くことを怖れてはいけない。力を出し切れば穏やかな終末を迎えられる。

関係性を大切にすることと、自分に贈られた力、能力を活かしきること、他者のために。両方を実現することはカンタンではありませんが、それが人に与えられた生きるテーマであり使命ではないでしょうか?