意識を集中する

整体師になって10年目に入ったから今更という気もしますが、今施術で一番重視していることは、集中です。お客さんに問診して患部を聞き出し、施術中はそこに集中するということです。

良くしようとか治そうとかいう意識は余計だと教えてくれた先生がいますが、お客さんの体と施術への集中は必要です。

集中すると施術効果は高くなると感じます。そのためか、今では施術の基本的なことをしっかりしていれば、特別なこと(追加手技など)をしなくても、症状が軽減、解消することが多くなりました。

それと、余計なことはしないことも大切です。最小限の手技で最短時間での施術が、やはり身体にとっては一番優しく施術によるリスクを最小限に抑えることができると思います。

「やり過ぎるくらいなら、足りない方がはるかにいい。」

こう教えてくれた先生がいました。この言葉の本当の意味が、わかってきてから、施術が楽になってきました。やりすぎて逆に症状を悪化させたり、余計な手技を足したりして、せっかく改善した状態のバランスを崩して逆効果になったりすることはありましたから。

やはり治すのは患者自身の生命力だと実感してます。だから、最小限の刺激が最高の施術なのでしょう。施術は時間が長ければ効果も高いということはありませんし。

バタフライ効果と身体

身体は元を質せば一つの受精卵が数え切れないくらい細胞分裂を繰り返してできたものです。

部分の(個々の細胞レベルでも)の不調が全体に影響しないはずがありません。悪い部分、症状が発生してる部分だけを、症状を取るだけの方法論で治療しても、全体として身体の状態が良くなるとは限らないのです。

人間社会、自然環境、もっと広くとらえれば宇宙も、全てがつながってて関連があります。本質的な意味では、部分に分けることはできないのです。

バタフライ効果という言葉があります。力学系(一定の規則に従って時間の経過とともに状態が変化するシステム)の状態にわずかな変化でも与えると、わずかな変化が無かった場合とでは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象のことです。チョウがはねを動かすだけで遠くの気象が変化するという意味の気象学の用語を,カオス理論(カオス理論とは、非常に複雑な状況・状態の世界では、未来を高い精度で正確に予測することは不可能ということ)に引用した用語です。

身の回りの些細な出来事でも、巡りめぐって社会全体に影響を及ぼすと考えたほうがいいと思います。少なくとも、自分の行動など社会全体には何の影響も及ぼさないという考え方は、政治や環境など大きな状況に対しての無力感と無責任感を産みます。そういう考え方はバラフライ効果を考えれば、間違いであることがわかると思います。

これを身体の状態に即して考えると、直接的にわかりやすい例としては、足首の捻挫がちゃんと治ってないと、腰痛や膝痛になりやすいなどがあります。若いときは大丈夫でも、60歳ころになってその影響で腰痛や股関節痛が発症する場合があるからです。捻挫によるちょっとしたバランスの崩れが他の関節に悪影響を及ぼすということです。

脊椎は調整の基本(誇張法について)

当院では、いくつかの手技慮法(全体のくくりでは整体になります)を、症状や体調、体質、年齢、性別などに応じて、その時々で最適な方法を選んで使ってます。

今メインの使っている手技療法の一つは、オステオパシーの誇張法と呼ばれる方法で、斉藤先生という方がアメリカで生まれたオステオパシーという手技療法をベースにして、独自に考案した手技療法です。

誇張法の基本になるのは、脊椎の調整です。全部で24個ある椎骨(脊柱の骨)全てを調整します。その基本にプラスして、骨盤、頭蓋骨も調整し、必要ならば、膝関節、足首の関節、肘の関節、股関節の関節、肩の関節、恥骨結合など、全身の関節も調整します。

脊椎の中には神経が通っており、各脊椎からは内臓に情報を伝達し内臓から情報を脳へ伝えるための神経が枝分かれしています。

脊椎に異常があれば、その脊椎に対応した内臓などの機能に問題や障害が生じることもあります。逆に、内臓に機能不全など不具合が生じれば、脊椎に異常が現れます。

誇張法では、直接、ごく軽い力で背骨に触れるだけですが、そのような物理的な刺激だけでなく、それと同時に、施術の方法の一つとしてイメージの力を活用しています。

単に、固まっていたりズレたりしてる椎骨をゆるめて適正な状態にするだけでなく、椎骨とその周辺の身体組織をイメージすることによって、その椎骨と関連する内臓も調整可能だと考えています。

脊椎がどう捻れているとか、どっちの方向に回転しているとか、ズレているとか、腰椎の何番と何番の間が詰まっていて動きが悪くなっているとかまで触診によって状態を把握した上で、脊椎に刺激を与え、同時にイメージで調整していけば、より精度が高く効果的な施術ができるはずです。

自己責任だけでは済まない

都会に住んでいると季節感が希薄で、人工的な環境に囲まれているせいか、なんでも人(広い意味での人、他人も含まれます)の思い通り、予定や計算とおりにできて当たり前のように感じることが多いと思いますが、昨年の東日本大震災などの巨大地震と津波を経験した人たちはきっと、人の思い通りにはならないことも多いことを実感していることと思います。

最善を尽くして天命を待つ

「自己責任」ということが流行のように言われてますが、「自己責任」と何でも思い通りになることとは全く別ものだということがわかってない人も多いような気がします。

そうならない(思い通りにならない)のは努力が足りないというのは、つきつめて言えば、やりかた次第で何でも人の(自分の)思いとおりになるという思考だと思うのです。

でも、僕はやはり昔の人も言ったように「結果は神のもの」だと思うのです。目標をもつことも努力も必要ですが、それが叶うかどうかは、人にはわからない。人知を超えたものにゆだねるしかないという気がします。

「最善を尽くして天命を待つ」

ストレスを溜めず、心配や不安感に押しつぶされないためには、人の力(理性)を超えたものに、人生をゆだねることも必要のような気がします。

「地球交響曲」

地球交響曲
耳にしたことがある人もいるかと思いますが、僕が一番影響を受けたドキュメンタリー映画です。

「地球はひとつの生命体である」というテーマに基づき、 それを体現しているような活動をしている各界の専門家に インタビューするという形式です。

身体と環境

この考え方は「ガイア理論」とも呼ばれ、環境保護活動に多大な影響を与えています。

各地で上映会が開催されていますが、一般の映画館やビデオショップでは観ることができないのですが、それがかえって商業主義の悪影響から逃れ、純粋にテーマに賛同する人の熱烈な支持を得ているようです。

僕自身も海外のいろんな場所を見てきて、登山やサファリなどを通じて自然と親しむ機会が多かったことと、野生動物や生命の進化に興味があり、自分で勉強をしていることもあってか、自分が考え、感じてきたことが、超一流の専門家や美しい映像と共に表現されているので、一度みてとりこになりました。

地球の環境は、そこで暮らす生物全てが作り出したものです。その意味において、全ての生物は地球という惑星レベルで観たとき、地球を構成する細胞のようなものです。

地球自体は人類が栄えようと滅びようと、存在し続けます。 だから「地球環境に優しい」などというのは、地球にとってはどうでもいいことなのです。

我々人類を含めた、現在の形の生物にとって、住みよい環境を維持するためには、今の産業形態では行き詰るというだけの話です。我々自身のために、汚染されていない自然環境は必要なのです。

極端な話ではなく、一人一人の暮らし方が直接、地球環境のあり方を左右していることを自覚したら、もっともっと美しく住みよい社会や環境ができるはずです。

責任ある態度とは、ひとりひとりの力を自覚し、いまいる場所や状況、人と関わっていくことだと思います。

自分には関係ない、一人では何の影響力もないという態度ほど、無責任で人任せなものはありません。

僕の仕事の整体との関連で言うと、身体も自然環境と観ることができます。外部環境の影響(汚染など)は、内部環境である身体にも当然ながら影響します。人も地球で誕生した生物の一種である限り、自然環境から離れて生きることはできません。汚染の少ない自然状態を保つことは、自己の身体を健康な状態に保つためには必要なことなのです。

自然療法的文化論(試案)

今の文明は100年後にも存在し得るか?

人間は自然から生まれた。いや、自然の一部だ。その観点から言えば、人の作ったものも広い意味では自然物と言えるだろう。狭義では、人の作ったもは人工物と呼び区別しているが…。
私がこれからの人生、30年前後はあると思うが、を生きるに当たって、今までの行き方を総括した上で生きるノウハウというようなものを体系化し発展させたいと考えている。
文明が全く入っていない手付かずの自然が大好きでその中にいると心身ともにリラックスするが、かといって人の創造したものが嫌いというわけではない。インドのバナラシの裏通り、デリーの古い町並みに残る中世を感じさせる風景と文化は好きだし、日本でも超現代的なところは物珍しさを感じるし、歴史の蓄積を感じさせる建物や町並みにも愛着を感じる。
ただ、建物や製品、生活習慣などおよそ人が作りだした物すべての自分なりの価値評価基準は、それが周囲の環境と整合性が保たれているかどうかだ。
周囲とはいわゆる自然環境のことだが、周囲との調和と物理的な整合性を欠いた文明が遠からず滅んで行ったことは、多少歴史を学んだ者なら誰でも知っていることだ。
この自明なことが教訓として活かされていないのが、近代に発生し現代にまで影響している西欧式の市場経済至上主義とも言うべき文明のシステムだ。
環境汚染・破壊が問題となって既に100年以上経つというのに、根本的にこの文明システムを見直し変えて行こうという動きは、ようやく緒に就いたばかりで、まだ実効性は薄い。

「地球交響曲」

「地球交響曲」 耳にしたことがある人もいるかと思いますが、 ここ数年で、僕が一番影響を受けたドキュメンタリー映画です。 「地球はひとつの生命体である」というテーマに基づき、 それを体現しているような活動をしている各界の専門家に インタビューするという形式です。

この考え方は「ガイア理論」とも呼ばれ、環境保護活動に多大な影響を与えています。 各地で上映会が開催されていますが、一般の映画館やビデオショップでは観ることができないのですが、それがかえって商業主義の悪影響から逃れ、純粋にテーマに賛同する人の熱烈な支持を得ているようです。

僕自身も海外のいろんな場所を見てきて、登山やサファリなどを通じて自然と親しむ機会が多かったことと、野生動物や生命の進化に興味があり、自分で勉強をしていることもあってか、自分が考え、感じてきたことが、超一流の専門家や美しい映像と共に表現されているので、一度みてとりこになりました。

地球の環境は、そこで暮らす生物全てが作り出したものです。その意味において、全ての生物は地球という惑星レベルで観たとき、地球を構成する細胞のようなものです。 地球自体は人類が栄えようと滅びようと、存在し続けます。 だから「地球環境に優しい」などというのは、地球にとってはどうでもいいことなのです。 我々人類を含めた、現在の形の生物にとって、住みよい環境を維持するためには、今の産業形態では行き詰るというだけの話です。 我々自身のために、汚染されていない自然環境は必要なのです。

極端な話ではなく、一人一人の暮らし方が直接、地球環境のあり方を左右していることを自覚したら、もっともっと美しく住みよい社会や環境ができるはずです。 責任ある態度とは、ひとりひとりの力を自覚し、いまいる場所や状況、人と関わっていくことだと思います。 自分には関係ない、一人では何の影響力もないという態度ほど、無責任で人任せなものはありません。

現実をあるがままに受け入れる

「現実をあるがままに受け入れる」ことは、しっかりと大地に足を着けて生きるためには必要なことだと思います。 そうすることで、世界と自分が一体になれるからです。

かの、ジョン・レノンも言っています。
「夢だけに生きたら、人生はお仕舞いだ」と。
夢想家、理想主義者と言われるような彼でさえ、冷徹な現実感覚の持ち主だったようです。
そうでなくては、あれだけの現実的な成功は、望めなかったということでしょう。

奇跡が起きたことがあるかどうか?

キリストのように、水の上を歩くような奇跡は起こせませんが、通常では在り得ないようなことを起こすことを「奇跡」というのであれば、そのような体験をしたことはあります。

それを具体的に人に話したことはほとんどありません。
一回か二回くらい話したことがありますが、
信じてもらえなかったように感じました。
たぶん、胡散臭がられたのだと思います。

僕の場合は、自分が危機的状況に陥ったときに、
その状況を全身で認識し受け入れた上で、
全身全霊で想いを集中させました。

それが奇跡を起こす秘訣なのかな、と思っています。
状況から逃げたら、奇跡は起きません。

匿名社会の安全弁

続発する市街地での殺傷事件

電車内でのイザコザから暴力事件にまで発展し、被
害者が死亡した事件。街頭でいきなり男にメッタ刺し
にされ死亡した女子短大生。暴漢に襲われ死亡した駅
員。最近、公共の場での殺傷事件が続発している。

満員電車でのイザコザは何度か経験があるので、状
況は想像できる。きっかけは些細なことがほとんどだ。
人波に押され身体がぶつかっただの、混んでいる車内
で人の身体領域を侵して雑誌や新聞などを強引に読ん
でいるだの、他者の存在を無視し不快にさせる行為が
いざこざの原因だ。

モラルの低下が言われるようになって久しいが、モ
ラルを回復する処方箋が具体的に提示されたことは、
めったにない。教育と心がけが問題だというに留まっ
ている。

不況で先行きの不安感と未来への展望の欠如から、
なんとなくではあるが、社会の空気が殺伐としている。
他者に配慮しない人、イライラしている人が多い。

ブラッドピットが主演した「ファイトクラブ」とい
う映画があった。ファイトクラブに所属した都会の男
たちが、地下の秘密の場所で、素手で殴りあいをする
のだ。ストレス解消も目的の一つだが、完成された社
会制度に圧迫感と不満を持っている男たちの、既成の
社会への反発と攻撃・破壊がテーマだ。

人々のエネルギーが鬱積して社会の圧力が高まって
いる状態は危険だ。表面的には穏やかそうに見えても
不満を抱えた人が多い社会は不安定だ。社会を安定し
た状態に保つためにはフラストレーションのガス抜き
が必要となってくる。

諸外国では民衆の不満が鬱積すると、しばしば暴動
というカタチで、行き場のないエネルギーが噴出する。
これもガス抜きの一種といえる。日本にそのような暴
動が起きない理由は、日本民族が穏やかな気質という
ことや経済的繁栄を背景にした社会の安定度が高いと
いうこともあるが、公共の場での酔っ払いの存在をあ
る程度認める習慣や、風俗・娯楽産業、公営ギャンブ
ルなどがある程度はガス抜きの役割を果たしているの
ではないだろうか。

通り魔的傷害事件を成立させる条件の一つとして匿
名性がある。その場に居合わせた人々全てが顔見知り
であったり知り合い同士であれば、そのような性質の
事件は起きようが無いだろうと思う。

匿名性は体面を重視する社会では、ガス抜きの役目
も果たしているようだ。知り合いには見せたくない顔
や行動でも、誰も自分を知らない場所では見せること
ができる、思い切った行動をとることができるという
経験は、誰しもあるだろう。問題はそれがネガティブ
な方向で表現された場合だ。

スタンリー キューブリックの遺作「ワイド アイ
ズ シャット」でトム クルーズ扮する主人公が、秘
密のセックスパーティに潜入するシーンがあるが、出
席者は全員、仮装用の仮面と衣装を身に着け、互いの
身元がわからないようになっていた。参加者は厳重な
資格審査があり、外部の人間は絶対に入れない仕組み
になっていた。セックスパーティ自体は違法ではない
のに、なぜそのような装置が必要とされるのか?

社会的体面を保ったまま羽目を外すためには匿名性
が必要なのだ。人は清く正しく美しくだけでは生きて
いけない。生きていく過程で汚れをかぶるという意味
もあるが、人の生命エネルギーは、表向きの社会制度
の枠内には収まり切れないからだ。人は過剰なエネル
ギーを抱えて生きている。良くも悪くも、そのエネル
ギーが人類に進歩と繁栄をもたらしたと思う。

ニューギニアの先住民部族では、かつて定期的に部
族間で戦争をしていた。戦争と言っても主に肉弾戦で
死者が1人程度でた段階で、終結する程度のものらし
いが。それを野蛮というのは的外れだ。近代国家の方
が、はるかに大規模で組織的で残虐な戦争をし続けて
いるのだから。

部族間の戦争は、部族の結束を高め、活性化させる
役目を果たしていた。敵を外に求めることによって、
部族内の過剰なエネルギーを放出していたということ
なのだろう。戦争の程度を決め、終結のタイミングを
コントロールしていたのだから、我々のような産業化
社会に住む人間より、本質的な部分では、賢いともい
える。

戦争はもちろんしない方がいい。だが、本気で戦争
放棄をするためには、過剰なエネルギーを合法的に発
散する場と方法が必要だ。公の場ではマナーとルール
を徹底する方が快適な社会になるだろうが、一方では
動物的欲望を発散することを容認する場と方法も必要
だろう。社会を精神的に安定させるためには、匿名性
とガス抜きの場が必要だと思う。

建前ときれい事だけでは、犯罪はなくならない。

諦めからの出発

あきらめたことさえ忘れていたほど
遠くへ行ってしまったかつての夢。
何があったのか、何をしてきたのかさえ思い出せないほど、
心は荒み、空しかったこともある。
でも、過ぎ去った時間は取り戻せない。
同じ時間を再び生きることは叶わない。

明日が来ることさえ信じられなかった。
毎日が過去の延長のような暮らし。
記憶だけが頭を駆け巡る。
辛かったこと、バカにされたこと、軽蔑されたこと、
無視されたこと、裏切られたこと。

何人もの人々と出会い、何人もの人たちと別れた。
そんな時間を過ごすうちに、
一人でいることに慣れてしまった。
一人、自分の部屋にいるとき、
山で見渡す限り人っ子ひとり居ないとき、
気持ちは穏やかで、心が安らぐ。

後悔しても時間は取り戻せない。
未来を取り戻したい、
希望に生きたいと想い焦がれても、
過去を生きている間は、未来はやって来ない。
気が付くと、今でも俺は過去を生きている。

夢って何だろう?
希望って何だろう?
こうなりたい、こんなことがしたい、
こんなものが欲しい、こんな場所に行きたい。
それが夢なんだろうか?
それらを望むことが希望なんだろうか?

でも、それって
ただ欲望に突き動かされているだけのような気がする。

自分が何者かわからないとき、
俺は心安らかでいられない。
自分がリラックスできる場所がないとき、
俺は居たたまれなく思う。
誰も自分を理解してくれないと感じるとき、
俺は生きているのが空しくなる。

だから、
自分が何者かを知ること。
自分の居場所を見つけること。
自分の理解者で出会うこと。
それが一番大切なことなんだと思う。

すごく遠回りしてきたけれど、
今ようやく大切なことがわかりかけてきた、
そんな気がしている。