身体均整法を施術に

今、身体均整法を施術に取り入れています。

50年以上の歴史がある整体療法の草分け的手法で、骨格、筋肉の調整だけでなく、内蔵機能、神経の調整なども可能な、とても適用範囲の広い手技療法です。

施術の流れとしては、

(1)骨格の中心であり脊椎を支えている土台でもある仙腸関節の矯正を最初に行います。

(2)次に、体型、体質、症状、体の歪みなどを診て、最適な方法で脊椎の調整を行います。

(3)2番までの施術でも、姿勢、症状ともにかなり改善することがありますが、それに加えて症状が出ている部分に狙いを定めた、部分的な調整を行います。

(4)最後にどの程度改善したか確認し、次回以降の施術が必要かどうか判断して、必要な場合はご希望に応じて予約をしていただき、施術終了となります。

他の整体、接骨院、整形外科など病院での治療で改善しなかった、治療をしてもらえなかった方でも、一度試してみてください。

施術の商品価値についての母の意見

先日帰省したときに、母を施術しました。

何度か施術をしていますが、先日は、息子の施術についての正直な評価を自分から伝えてきました。

母いわく…

「とてもやんわりした整体術で体をゆらしているだけのようで、受けていると眠くなるね。
年末に腰が痛んだときは、整体で楽になったけど、
どこも悪くないときは、整体後でもあまり体調が変わったと感じないよ。
でも、しばらく経つと、いつもより疲れにくく、体が動いていることに気づくんだよ。
でも、これで何千円か払うと思うと、このような整体術では何か物足りないような、
本当に効果があるのかと思わないでもないね。
このやりかただと体を壊す心配がまったくないのはいいと思うけど」

ということでした。

実際のクライアントさんの中にも、正直に同様のことを言った人が何人かいますし、
次回の予約をしなかった人やキャンセルしてきた人の中にも、
同様の感想を持っている人はいるに違いありません。

効果が出れば人は来るというほど単純ではないようです。
クライアントさんの思い込みや期待と施術方法が大きく外れると、
楽になってもリピーターにはなってくれないことがあります。

この辺も仕事として整体をする上での難しさだと、母に指摘されたような気がしました。

民間療法は、まず効果ありき

民間療法は、効果が出てナンボの世界だと思っている。日本の医療は7割とはいえ保険適用されるから、治療効果が無くても、医者の治療を受けているという安心感のためだけでも通院する患者がいる。

治療(施術)効果がはっきりと出ていても(施術後に症状が軽減したり解消すれば、施術効果があったと考えて差し支えないはず)、それを医学(科学)的に説明できないと、インチキだとか偶然だとか言われ胡散臭く思う人が一定数はいる。しかし、現代医学で解明できていることは、ごく一部だろう。

とはいっても、施術効果が出にくい人はいる。背骨も骨盤も弾力が乏しく、体全体が硬い人は、回復力が弱い。そういう人は体の感覚が鈍っていて、風邪を引かないことが多い。風邪すら引けない体は、体の調整ができてないから、ある日突然大きな病気に罹ったりすることが多いようだ。

風邪を上手に引き経過し回復することで、体が調整される(ゆるむ)のだが、風邪薬や抗生剤などを飲むと、かえってすっきとと回復せず、緩和してはいるが風邪の諸症状がダラダラと続くことが多く、体もきちんとゆるまないようだ。風邪を上手に引けば(経過すれば)、逆に健康回復できると思ったほうがいい。

人がいるから自分でいられる、生きられる

人は自分だけのために、この世に生まれてきて存在しているわけではないと思ってます。

人のために何かをすることで、この世に存在できてるんだと思います。

自分が今、ここに居る意味は、他者が与えてくれるんだという思います。

母は子供がいるから、母親として存在している、生きることができる。

子供は父や母の存在があるから、あったから、子供でいられる。

教師は生徒がいるから、教師でいられる。

生徒は教えてくれる教師がいるから、生徒でいられる。

友は友がいるから、お互いに友達でいられる。

料理人は食べてくれるお客がいるから、料理人でいられる。

雑貨屋の店員は、お客が来るから店員でいられる。

お客は、それぞれのサービスを提供する店があって、店員などサービスを提供してくれる人がいるから、お客でいられる。

そしてもちろん、整体師はクライアント(患者)さんがいるから、整体師として存在できる。

我々は一人だけでは存在できない、生きていられません。全てのことは、他者がいて成り立っているのです。

だから、自分だけのために生きる、自分の楽しみや快感のためにだけ生きる、自分だけ気持ちよければいいという考え方は、存在の根本原理に反していると思います。

若いうちは、自分のことと、せいぜい親兄弟、恋人、ごく親しい友だちのことしか考えられない人が多いと思います。少なくとも僕はそうでした。

でも、自分が今、ここに、何らかの仕事や役割を持って存在しているということは、全てそれらを必要とする人がいて、それらの人たちからも大なり小なり必要とされているということでもあります。

自分のこの世に存在している意味を考えることができるようになると、生き方がしっかりしてくると思います。大地に根を張っている感じ、この世の物事とつながりを感じることができる、そんな感覚が生まれてきます。

この関係は、人と人だけだけでなく、人と動物、人と植物、人と物、人と世界の構成要素全てに当てはまります。

自分だけの利益を求めること、追求することは、このように複雑にからみあって相互依存しながら存在している「世界」という現象を、蝕む、傷つける、破壊する行為だと思います。

残念ながら、今の世界、人が作り出したいわゆる進んだ文化、文明は、世界全体から観ると、関係性のネットワークを傷つけ歪めているように思えてなりません。

僕がやっている整体の施術も、体を構成している数十兆個の細胞同士の関係を良くしスムーズにし、相互のバランスをとり全身のバランスを整えることです。整体=体を整えることです。

誰か一人だけ、一つの種類の集団だけが利益を得て無限に勢力を拡大している様は、体内細胞の反乱分子である癌細胞とそっくりです。人類が地球や宇宙の癌細胞にならないことを祈っています。

ではなぜ人は生きる意味を求めるのか?無意味に生きることに耐えられないのか?意味が感じられない人生を空しく感じるのか?

それは、世界に意味づけし存在意義を見出すことそのものが、世界を存在させているからだと思います。

ただ物質として存在している世界、意味も無く動いている世界は、少なくとも人間や精神活動をしている生物にとっては、存在してないのと同じだからです。

たぶん、世界に存在の意味を与えているのは、生命だからでしょう。

この世に存在する意味を失ったとき、我々は消えていくのです。

勝つことの空しさと残酷さ

今は以前ほど聞かれなくなりましたが、一時「勝ち組」「負け組」という人の分類が流行ったことがあります。

僕はこの仕分けの仕方が嫌いです。自分が明らかに「負け組」だからかも知れません(少なくとも世間一般の常識的価値観では)。

それ以上にこのように人を仕分けることは、恐ろしいことだと思います。
なぜなら、勝ちに拘った生き方は、共栄共存、持ちつ持たれつという考え方とは対極にあり、自然界の摂理にも反するからです。

何が何でも勝とうとすると、相手を徹底的に叩きのめししてしまいます。ときに相手を再起不能にします。経済戦争をしていると言っていいほど今の社会は、過酷で激烈な競争社会になっていますが、実際に叩きのめされ再起不能にされた人々や会社は多々ありますし、自殺に追い込まれた人々もいくらでもいるような状況です。

僕の郷里でも、「あそこの社長は、借金が返せなくなり、生命保険を自分にかけて自殺して払った」などという会話が聞こえてくるありさまです。サラリーマンでも数千万円の住宅ローンを組む際には、銀行から生命保険に加入するのを融資の条件として出されることが一般的だそうです。

よく野生動物の世界は弱肉強食で、弱いものは負け淘汰され、強いものだけが勝ち、生き残るようなことが言われていますが、これは事実ではありません。

肉食動物は草食動物と戦っているわけではなく、単に食事をするために狩とっているだけです。自分が食べきれるだけ狩をするだけです。雌を得るために雄たちは戦いますが、相手を殺すまで戦うことはあまりありません。優劣がつけばそれで大抵の戦いは終わります。

野生動物たちは、生き残るために負けないようにしますが、相手や獲物(食料)を叩きのめし再起不能にするために戦っているわけではありません。必要以上に獲物を狩れば、やがてその結果(報い)は、食料不足となって自らに返ってきます。

その意味では、何が何でも勝とうとする姿勢で生きることは、長期的に観れば、社会全体を衰退させることになると思いますし、少なくとも社会が殺伐となることは確かです。

自分が必要な分(利益)を取ったら、後は競争相手に譲る、他の人のために残しておく。勝とうとするのではなく、負けないように生きる。

我々人類がこの先何千年、何万年、何億年と生き残りたいのなら、他を圧倒して勝つような生き方ではなく、負けないように生きなければならないでしょう。

時代遅れと大量絶滅の代名詞のように言われることがある「恐竜」ですが、彼らは1~2億年の間繁栄しました。現在の鳥類などは、その子孫と言われています。

我々人類は、猿人の頃から数えても、わずか5~600百万年しか生きてないのです。現代人(ホモサピエンス)になってからだとたった20万年程度しか経ってないのです。

あくまで「勝ち」に拘るなら、人類はこの先1000年と持たないかも知れません。

いい加減の大切さ

20代から30代にかけて、2年半近く海外で旅をしながら生活していた時期があります。

帰国するときは成田空港に着くのですが、長期間日本を離れていて帰国数日前になると、なぜか緊張したのを覚えています。住み慣れた母国に帰るんだからホッと安心感や安らぎを感じるのが自然だと思うのですが、確かに緊張するのです。

理由の一つは、仕事を辞めて海外に出ているので、帰国後に仕事と住居を探さなくてはならず、それがプレッシャーになっていたことです。

もう一つの理由は、海外、特に発展途上国や南の暖かい国に長期間滞在していた人なら大抵感じると思うのですが、それらの国々は、社会のシステムやその運用の仕方、人々の考え方やライフスタイルなどが、良くも悪くもいい加減なとことがあるのです。

例えば、イタリアは発展途上国ではありませんが、ヨーロッパの中では南に位置しています。北部のドイツや北欧諸国などでは、電車はかなりきちんと時刻通りに近い運行がされていますが、イタリアでは長距離列車が1時間や2時間遅れて到着したり発車することは珍しくもなく、乗客もその程度の遅れで騒ぐことはありませんでした。

これはデンマークで経験したことですが、観光案内所などの外国人向けサービスをしている所でも、営業時間少し前になると帰る準備をし始め、閉店時間ちょうどに店を閉めるというのは、ごく普通のことでした。これはある意味いい加減ではなく、とてもきちんとしているということかも知れませんが、仕事をプライベートの区別というか、プライベートの時間を仕事で犠牲にしないという点は徹底していました。

発展途上国へ行けば、社会システムの運行はもっとずさんです(苦笑)。昼間からブラブラしている大人などゴロゴロいますし、仕事中でも、お客を待たせていても、平気で個人的なおしゃべりしてますし、多少ミスをしても、悪びれることなく、平気な顔をしているような印象を受けます。

欧米のような先進国と言われるような国でも、日本と比較すると、上記のように人々はよく言えばおおらかでゆったりしている、悪く言えば自分勝手でいい加減な印象を受けました。

日本は先進国と呼ばれる国の中では、自殺者数も自殺率も最悪です。10年間以上毎年3万人以上が自殺している国など、政情不安で経済的に危機的状況の国以外にはありません。

その背景には、不況があるのは間違いありませんが、もう一つの背景としては、あまりにきちんと正確に丁寧にマニュアルや常識、集団や社会の空気に合わせていないといけないという社会の雰囲気というか国民性があるような気がしています。

自殺者の多くは、うつ状態だといいます。整体という仕事でクライアントさんと接していると、体調不良の背景にうつ状態や過剰なストレスがあると感じる方は沢山いらっしゃいます。

僕などは、最初に書いた経歴からもわかるように、最初から一般的な日本人の人生設計や職業コースから外れた生き方をしても、自殺もせずに(笑)何とか生き残っています。日本ではコースから外れる生き方をしたり、職業的な面で失敗すると、なかなか這い上がれません。

でも、世界的に観れば日本ほどきちんとしてなくても、いい加減でも楽しく生きている人々は沢山いることを知ったことで、だいぶ救われているような気がします。

経営者でも会社を倒産させたりすると、巨額の借金を抱えた場合なら、最悪自殺に追い込まれたり、何とか生き残っても、以前の状態にまで挽回するのは至難の業です。家(うち)は父が会社経営者で倒産を経験しているのでよくわかるのですが、日本で会社を潰した場合、大企業の雇われ社長は別ですが、家族ともどもかなり惨めな状況に陥るのが普通です。

努力不足でなく、社会システムの問題で苦境に陥っているような人々にまで、結果責任ということで失敗の責任を全て個人に押し付けることと、あまりに社会システムがきちんとしていて余裕や遊びの部分がない。いい加減さを許容しない社会が、今の我が国だという認識を持っています。

その証拠というか結果でもありますが、先進国で世界一の自殺率と、うつ病やうつ症状の多さになって現れているような気がします。

良い意味で、もっといい加減な生き方を許す、いい加減さを許容する精神風土を取り戻すことが、個人の精神の健康を取り戻すことにつながり、社会全体としても、やり直しができる(再チャレンジ)、もっと自由で余裕と活力のある社会になっていくのではと思っています。

チャクラセミナー

文化の日に臨時休業して、チャクラセミナーに参加してきました。

チャクラといっても知らない人もいるかも知れませんので、簡単に説明しますと…

人の体には生体エネルギーが流れています。一番大きな流れは背骨に沿ってあります。
チャクラとは、このライン上にあるエネルギーの集積ポイントの渦のことです。
体の中心にある背骨から体の前面と後面に向かって、それぞれラッパ状の渦になって外部へと開かれています。
この生体エネルギーの渦は、生体エネルギーの増減に従って、渦の大きさと回転の速さを変化させると言われています。チャクラの状態は、生体のエネルギーの状態を表していると言われています。

と書いてもあまりよくわからないと思いますが、どうやら我々生命体は、食物や空気(酸素)以外にも、外界とエネルギー交換を行なっており、それを生命エネルギー(「気」と言ってもいいと思います)と呼ぶらしいのです。その出入り口が「チャクラ」なのではないでしょうか?自分でもよくわかってませんが(苦笑)

インドなどへ行ったことがある関係からか、「チャクラ」という言葉は昔から知ってはいました。
でも、それは観念上のもので、実際にそれがあるとは思ってませんでした。

それが先日のセミナーで、(主なものは)7つあると言われたとおりの場所(体表)のちょっと上に、明らかに他の空間とは違う熱と気配(空気密度の違いのようなもの)を感じたのです。

それが弱っているチャクラを開き活性化することで、心身の状態を整え活性化できるとのことですが、まだすぐにチャクラを施術で使えるほど理解したわけではありません。

もっと勉強していったら、施術でご披露することができるかも知れませんが、実際にやっている光景をちょっと引いて客観的に見ると、何やら怪しげな新興宗教の儀式のように見えるので、どうしようか思案しているところです(笑)

難しいクライアント

自分の考え方や生活習慣、人間関係のあり方などを、一切変えたくない人。変えられない人。

変えたほうがいいと思える点を指摘するだけで、自己否定されたと思い込む人。

以前見えたクライアントさんでそんな感じの方が何人かいました。

改善点があってもそれを喜ぶ様子が希薄で、まだ残っている症状に隠れているだけと改善を受け入れない。

一番強い不快感をしつこく訴え、これは治るのかと聞かれたので、生活習慣など自分をとりまく環境や対人関係も含めて変えたら楽だと思えることを変えないと治らないと答え、痛みや不快感は、過去の記憶や脳での感じ方で増幅することもあるという説明も理解できない様子。

何度か施術してて、軽くなった部分もあったのですが、情緒不安定で、話しているうちに感情が害されていることが伝わってきました。

過去に人間関係でトラブルがあり、心の奥底に怒りや憎しみがあるようで、ちょっとしたきっかけで、それが今目の前にいる相手(私)に向けられたという印象です。

かわいそうですが、人の善意のアドバイスも一切受け入れない頑なさが解けない限り、 何箇所もある体の不快感は解消することはないだろうなぁと思いました。

この方のような微妙で繊細な感情と複雑な経験を抱えている方と接するには、
まだ、自分の対人能力や理解力、包容力の足りなさを痛感しています。

オランダからのクライアント

ホームページで当院のことを知り、コンサートツアーで来日するときに施術して欲しいとメールをいただいていたオランダから来日されたフルート奏者で作曲家の方が、雨の中当院に来られました。

オランダにはアムステルダムにゴッホとルーベンスの絵画を観に行ったことがありますが、中世の雰囲気が残っている町並みとオランダ人はヨーロッパの中でも大柄な人が多のが印象に残っていました。来院されたクライアントさんも190センチくらいもある方でした。オランダでは2メートルくらいの身長の方もたまにいるので、2メートル以上の方が来たら、施術大変だなと、変な心配をしていたので、190センチでもちょっと安心しました。

パートナーの女性は日本人で、彼女も音楽家です。クライアントさんは片言の日本語を話しますが、基本的にはパートナーの方が通訳してくれたので、言葉に関しては全く問題ありませんでした。

フリートの演奏で首を傾け、腕を固定して使うためか、肩から首にかけてコッていて重く痛むとのことでしたが、体は全体的にそれほど歪みはなく、均整のとれた方でした。

2回目来れるかどうかわからないので、1回の施術で可能な限り楽になったと感じていただけるようにと施術しました。

最初に仙骨を調整した後、首肩と、右肩甲骨がかなり下がってたので、それを修正することを念頭に集中施術しましたが、肩甲骨は揃ったものの、症状的には多少楽になった程度とのことだったので、さらに基本施術を中心にフルコースの施術をしました。

今日は関西方面から東京に来られたとのことで、演奏と移動の疲れがあったのですが、それが解消し施術がとても気持ちよかったと喜んでいただけました。

しかし、肩はかなり楽になったようですが、首の重い違和感は芯に残っているとのことで、エネルギー療法を使って、後頭骨を修正した後、頚椎を施術しました。

正確に思い出せないくらい前から(おそらく10年くらい)今のような状態が続いているとのことなので、初回で完璧に解消することはできませんでしたが、かなり楽になったと言っていただけたので、役目は十分に果たせたと思っています。

ヨーロッパ人のアーティストということで気難しい人かなとも思いましたが、かなり気さくな方でパートナーの方共々、とても感じの良い方でした。

帰られるときに、コンサートのチラシをいただきましたが、その紹介を読んで、ちょっと驚きました。事前に知らないで良かったと思いました(笑)

オランダ人の方は、現代音楽と教育の分野で世界的に著名な方で、世界中で演奏活動をするかたわら、欧米とアジア各国の大学、音楽院で教えているとのことです。

パートナーの方もミュージシャンで、薩摩琵琶とヴォーカル(声明)で演奏活動をされていて、ヨーヨーマなどとも共演されており、著名な音楽祭にも多数参加されているとのことです。

施術回数が多いと優れている?!

施術回数は、多ければ多いほどいいと、整体師の成功本などを読んでいるうちに思い込んでいました。でも、果たしてそうでしょうか?

1日に10人どころか15人以上も施術している先生もいるようですが、ほとんど流れ作業でクライアントをさばくという感じではないでしょうか?

楽な施術方法だとしても10人不調のある方と接するというのは、精神的にも疲れると思いますし。

来たときより多少でも楽にすれば責任は果たしたと思える人ならそれも可能だと思いますが、ちょっと複雑で不調が複数あったり、症状がきつい人だと、15分や20分でちゃんと診れるはずがないと思います。特に初回は。

回数をこなせる整体師が優れているというのは、たぶん「整体師の成功本」や「成功ノウハウ本」の洗脳だと思います。

営業的に成り立たせることは、仕事として施術をする上では大切という以上に絶対条件ですが、かといって売り上げが多い先生が、人間的にも治療家としても優れているというのは、たぶん、違うと思います。

僕が尊敬する野口晴哉先生は、施術(操法)にものの5分とかからなかったそうですが、野口先生は天才です。一般の施術家が時間だけ真似たとしても、結果は雲泥の差でしょうし、ましてや患者に寄せる思いと洞察力では、先生の足元にも及びません。

凡人はある程度納得でき営業的にも成り立つくらいの時間とエネルギーを注ぎ込むことは、きちんと人を診る、施術を意味(効果)のあるものにするためには、必要不可欠だと考えています。

それをないがしろにして、自らの楽と儲けのためだけに時短や省エネをするならば、治療院としてはいずれ廃れていくでしょうし、それを行なったそのときから、まともな(誠実な)治療家(施術者)ですらなくなると思っています。

これはあくまで理想論ですし生身の人間なら完璧に常に実行できるわけでもありませんが、それくらいの思いと覚悟がない治療家や医師になど、少なくとも僕自身は、自分が不調になったときに診てもらおうとは思いません(自戒を込めて)。