NHK朝ドラ「つばさ」

今、NHKで放送している朝のテレビ小説「つばさ」は、川越が舞台で、僕の整体院から歩いて10分ほどのところで撮影していました。

クライアント(患者)さんの一人にちょうどドラマの舞台になっている町内で、主人公のつばさと同じ和菓子屋の娘さんがいます。

彼女もエキストラで出演したとかで、ドラマの終わりに紹介される川越の人の写真に彼女も写っていたと、嬉しそうに話てました。

室内のシーンが多く、撮影は基本的にはNHKのスタジオのセットで行なわれているようですが、たまに写る川越市内や町並みのシーンは、現地ロケだそうです。

3年前、僕は整体師になって開業場所を探していました。川越市に住んでわずか2年ですが、歴史と町に奥行きが感じられ、東京より落ち着いていて暮らしやすく、とても気に入っています。

ドラマがはじまってから最初の日曜日に、蔵の町のメインストリートを通りましたが、暖かくなったせいもあり、いつもより人出が多かったようです。ドラマのおかげで川越の町がいっそう好きになりました。

テレビ報道、ドラマなどでも、東京を中心に大阪などの大都市が取り上げられることがとても多いせいか、我々は自分の周囲しか知らず、同じ国の中でも知らないことがとても多いと思います。

もっと地方のいろんな人々の暮らしをとりあげたら、この国のこと、この国の人々のことが、もっとわかるようになり、いろんなことが見えてくるような気がしています。

優しく気持ちいいが「指圧」のコツ

指圧は優しく押すのがコツ
[ 健康になるために ]
筋肉を刺激すると、血管の周りの神経からCGRP(カルシトニン遺伝子関連ペプチド)という物質が分泌されます。これはコリの特効薬ともいえるものです。CGRPは、体に備わっている神経伝達物質で、強い刺激を受けるほど多く分泌され、血管を広げて血流を増やす働きをします。

血流が良くなると、筋肉のコリの周辺に溜まっていた疲労物質や痛み物質が押し流され、コリが解消していきます。

皮膚を軽く引っかくと赤くなりますが、ひっかく刺激によって血流が良くなるためです。この刺激は皮膚表面だけでなく、下にある筋肉にも作用します。

局所的に強い刺激を与えると、上記のメカニズムで血流は良くなりますが、強すぎる刺激は筋肉を傷めます。

筋肉を刺激すると、CGRPに加えて脳内快楽物質(エンドルフィン=脳内モルヒネなど)も分泌されます。筋肉への刺激によって脳内快楽物質が放出されて快感を感じ、ストレスも軽くなって自律神経もバランスが整ってきます。

CGRPも脳内快楽物質も、強い刺激を受けると多く分泌されます。そのため、強いマッサージや指圧に慣れた人は、より強い刺激を求めるようになります。

しかし、その結果、筋肉の状態を良くするどころか、傷つけてしまったり、強すぎる圧力への防衛反応で、筋肉がカチカチになってしまいます。

よほど加減を知らないと、もんだり叩いたりするのは、刺激が強くなりがちです。(素人が)筋肉を傷めずに血行を良くしてコリを解消するには「指圧」の方が適しています。

「指圧」の圧力は、気持ちいいと感じるくらいの優しい押し方で十分です。痛気持ちいいでは、強すぎます。

押す際のポイントは、指の角度です。皮膚表面に対して斜めに押すと、力が分散されます。皮膚に対して垂直に押すのが正しいやり方です。

押すときは、ただ機械的に押すのではなく、筋肉のコリの部分めがけて(イメージして)静かに優しく押します。

コッてると感じる部分と、実際にコッてる部分がピッタリ同じとは限りません。効果的にコリを解消するためには、部分、部分ではなく、コリのあるところを全体的に(肩なら首から肩、背中にかけての僧帽筋全体)指圧しましょう。

この方法なら、筋肉を傷める心配もなく、もみ返しもなく、安全に効果的にしかも楽にコリを解消することができるでしょう。

整体の考え方

療法にもよりますが、整体などの手技療法に即効性がないということはありません。 それどころか、痛みや重さ、ダルさなどはっきりした症状ほど、施術効果もはっきりすることが多いです。。ちょっとした腰痛や頭痛なら、薬より瞬時に痛みが取れることなど珍しくないです。ぎっくり腰など症状が劇的な場合は、休息が一番ですが、施術で症状を緩和することは可能です。

自然治癒力や骨格のことをクライアント(患者さん)が理解する必要は必ずしもないと思っています。「痛みを取ってほしいだけ」というクライアントさんは少なくないと思いますが、。自然治癒力が体を治し、痛みを取るのであって、医師や薬や整体療法そのものが体を治すということはありません。我々ができることは、体が良くなるきっかけ、手助けができるだけです。 それに、体の状態が良くなれば、自然に痛みなどの症状も消えるはずです。消えないということは、それほど効果が発揮できてないと見るべきだと思います。

鎮痛剤は、神経を麻痺させるだけなので、よほど痛い場合以外、使わない方がいいと思います(末期がんでモルヒネ投与は賛成ですが)。使う場合は、本質的治癒が遅くなると思った方がいいですね。薬を飲んでも治るのは、自然治癒力が働いているからです。 鎮痛剤を使わなくても痛みを緩和する方法は、民間療法でもあるので、安易な鎮痛剤の使用は肯定しません。

施術時間についてですが、あまりに長い施術は、むしろ体に負担になるので、短めがいいと思います。検査を含めてですが、1時間以上、体調がいまいちの人(患者さん)を横にしておくだけも、立ち上がったときにふらつき、めまいを起こす人もいるので、やはり長時間の施術はむしろマイナスだと思います。 マッサージなら時間が長いと得した気分になりますが、少なくとも私がやっている療法は、時間でいくらという慰安目的ではありませんから。

体温計の目盛りの幅は、たった7度

水銀柱の体温計の目盛りは、35度から42度までのわずか7度の間しかありません。これは、人が生存できる体温がこの間で、体温が35度以下でも42度以上でも生きられないということだと思います。

人の体調を整えること…「整体」を生業とするようになってから気づいたことのひとつに、体温が35度台の人が多いということです。人の基礎体温は36.5度前後だと思っていますが、それを1度ほども下回る人もそれほど珍しくはないということがわかりました。それだけ、現代日本人の体は冷えているということになります。

当人にとっては嫌な表現でしょうが、体温計の目盛りで考えると、35度台の体温というのは、死の一歩手前ということです。

実際、平熱が36度を切ると、免疫力、病気への抵抗力が2割以上も落ちるといいます。体の冷えは単なる症状、ありきたりの、たいして深刻に考える必要もない体の状態などと軽く考えていると危険だと思います。 直接の因果関係が検証できなくても、冷えがきっかけとなって、しだいに深刻な病気にまで至るケースはあると考えています。

私の平熱は36.3度です(ちなみに、平熱、基礎体温は、寝ている状態の体温です。起き上がって動きだすと体温は上昇します。一日のうちでも体温は1度前後は変化します)。子供の頃は36.5度はあったと記憶しているから、たいていは、大人になる過程で代謝量が落ちていき、体温も少し下がるようですね。

私の最高の体温の記録は41.5度位です。これは生存できる体温の上限一歩手前ということになります。あと0.5度上がっていたら、おそらくこの文章を書くことはなかったでしょう(笑)。

原因はマラリアです。現代の日本では罹ることがない熱帯の病気でハマダラ蚊などの蚊が媒介します。20代半ばにアフリカに滞在していたとき、アフリカ中央部のザイール(現在のコンゴ民主共和国)のジャングル地帯で発症しました。

当時、ケニアのモンバサというインド洋に面した港町からザイールの首都キンシャサまでの旅の途中でした。途中のウガンダとザイールの国境にそびえるルゥエンゾリという標高5000メートルほどの山をトレッキングした後で疲れが出たのか、体調がおかしくなりだしました。

キンシャサまで行きたい気持ちは強かったのですが、公共交通機関がなく、ヒッチハイク以外行く手段がない旅は発症前で衰えていた体には、過酷でした。体の勘で、これ以上進んだらかなりやばいことになると感じて、近代的設備の整った病院のあるケニアに引き返すことにしたので、命拾いしたのです。

なんとかケニアの首都ナイロビまでたどり着き、大使館で紹介された病院に行ったら、マラリアと診断されました。それでも市販の治療にも使えるという予防薬を飲んで安宿で寝ていたのですが(現地ではマラリアなどごく普通の病気でしたが、後になって知ったのですが、死亡率はかなり高いようです)、意識が朦朧とするほどの体温になって命の危機を感じたので、早朝にタクシーをつかまえ病院に連れて行ってもらいましたが、そのときの記憶は高熱のせいで意識が朦朧としていたためか、あいまいです。

着いた直後に車椅子に乗せられ、即点滴をつながれたまでは覚えているますが、その後3日ほどの記憶はありません。昏睡状態に近かったようで、後から医師にかなり危ない状態だったと聞かされました。全世界ではマラリアで年間100万人以上の人々が亡くなっているそうです。

そのときの唯一の記憶は、まぶしいくらい明るい世界で花が咲き乱れた広い場所にいて、しきりに懐かしい人たち、もう会えないかも知れないがとても親しかった人がいて、とても会いたいと思ったことだけです。

きっと花畑の彼方に歩いて行ったら、その人たちに会えたかも知れないが、戻っては来れなかっただろうと思います。 そのときの夢?妄想?からか、死後の世界があるような気がするようになりました。

帰国してから数年間は、夏になると高熱が出ました。一番ひどかったのは、30歳になる直前、3ヶ月かけた東南アジア縦断旅行でインドネシアのバリに滞在していたときでした。クタビーチのロスメン(現地人用の安宿)のベッドがぐっしょり汗で濡れ、黴が生えるほど大量の汗をかきました。そのとき体温計は41度をさしていました。

帰国後、やはりマラリアの原虫が体内にいると確信して、目黒の白金台にある東大医学部付属の熱帯医学研究所(当時の呼称)へ行って事情を話しました。そこの待合室には、太平洋戦争で南方に行き、マラリアになって帰還し、戦後40年以上の経つのに、毎年夏になると高熱が出るという元兵隊がいて、いろいろ話を聞かせてくれました。

元兵隊の話によると、40度もの高熱だと、たいていの病原菌は死滅するらしいです。だから、君の体は浄化されマラリアを別にすれば、とてもきれいな状態だといってくれました(これは医学的にも本当らしいです)。

5日後にナイロビの病院を退院したときは、筋力は落ちていましたが、身も心もとてもすっきりし、すがすがしく感じたことを思い出しました。病気が治って、命拾いして、うれしかったことはもちろんですが、元兵隊さんが言ったように、心身ともに高熱で浄化されたのだと思います。

子供はよく高熱を出しますが、40度以下なら、心配はいらないと思います。医学的には、風邪、インフルエンザや子供特有の病気で、高熱で脳がやられたり、死んだりすることはないそうです。しかも高熱の副産物として、体内に潜んでいる病原菌が滅菌されるから、治った後は以前より健康になってといえます。

整体師になって生理学について勉強したことと、マラリアで41.5度の体温を体験したことから言えることは、解熱剤など通常の病気では必要ないということです。熱が出ることで、抵抗力が増し、病原菌を退治できるからです。

それより、低体温を心配した方がいいです。そっちの方が命取りになることがあると思っています。

プロ意識を考えてみた!

会社で働いていたときの仕事に対する意識は、給料の分だけ働けばいい、そう思っていました。

それ以上働いたと感じたとき(非常に忙しかったり、要求されるレベルを超える成果を揚げた場合、自分の意識としてはかなりがんばったと感じたとき)は、ボーナスや昇給でそれ相応(と自分が期待する程度)のものを期待し要求できるときはしてきました。

これは多くの標準的サラリーマンの労働意識に近いと思いますが、最初に給料ありきだったことを自分で仕事をはじめてから、改めて感じています。

自分で仕事を作り営業していくということは、最初に売り上げや利益ありきではないことが、現実として理解できるようになりました。 最初に商品(製品やサービス)ありきなのが、商売というものだということが、改めてわかったのです。

売り上げ(利益)は、その商品が顧客(=社会)に受け入れられてから手にするものだと思います。

この前提でプロ意識とは何か?を考えてみました。

プロ意識とは、自分の(企業なら会社の)商品(製品やサービス)を消費者(顧客)に買っていただいたときに、顧客に自分の商品にお金を使ったことが正解だった、よかった、満足した、幸せになったと感じていただくような商品を提供するのが自分の責任だと思って仕事をする人のことだと思います。

だから、商品をとにかく売ればいい、という姿勢では、本当のプロとは言えないと思っています。
買った後で、後悔させるようでは、プロ失格だとさえ思います。

整体師としては、患者さんに僕の施術を受けて、当院に来て、よかったと思っていただけるような仕事をすること。さらに言えば、当院に来て、幸せになって帰ってもらえたら、言うことはありません。

患者さんの笑顔が、健康が、満足感が、幸福が、
私の職業上の幸福であり生きがいです。

それが、私にとって、整体師としての意識です!

バナナダイエットでバナナが無くなった!?

バナナダイエットが流行ってるらしい(一時的でしょうけど…)

テレビの影響はやはり凄いですね!
その影響で、僕もいつも買っていたバナナが買えなくなりました!

毎日ではありませんが、手軽で健康的な朝食として、バナナを食べていたのです。
バナナ、特に、皮に黒い斑点が出ているものは、免疫力を高める効果が高いそうです。
そのバナナとパック入りの野菜と果物をミックスしたジュースが、超カンタンな朝食メニューだったのです。
でも、別にバナナに拘ってるわけではないので、これからはリンゴも出回ってくるので、リンゴでもいいと思ってます。

本当に減量したいなら、ストレスを食欲に転換して発散させる回路を変えた方がいいと思いますが、その関連に気づいている人は意外に少ないようですね。

それに、余分なエネルギーを摂取すると、体はそれを分解・吸収・排泄するため余計に消耗し、それでも使い切れないエネルギーや排泄できないものは自家中毒を起こすので、古くから言われているように、腹八分目がいいようです。

一生に食べれる食事の量は決まっているという説がありますが、それが正しいとすると、過食は早死にの原因になるということです。

ローマ人は、食の楽しみを追求した果ての究極の方法として、満腹になると食べたものを吐き、また食べるということを宴会のときなどにやっていたそうです!

そこまでやれれば、良し悪しは別にして、凄いと思いますが、食料自給率がたったの40%の国に住んでる者としては、やはり腹八分目がいいように思います。

対症療法から根本療法へ

今の社会の問題解決の方法論は、対症療法だと思っています。

例えば…

飲酒運転事故が問題になれば、罰則を強化する。

いじめが問題になれば、いじめはいけないと(表面的に)言って禁止する。

税金の無駄遣いが問題になれば、無駄遣いした政治家と官僚を責めればいいと考える。

温暖化が問題になれば、二酸化炭素の排出を減らせばいいと考える。

問題が発生した原因を調査し研究し判断し、根本的な解決を目指すのではなく、
表面的に問題として現れた現象だけを抑えればいいと考えているかのように感じます。

病気の治療も同じです。

痛みがあれば、薬で抑える。

熱があれば、薬で下げる。

腫瘍があれば、手術で切り取る。

病気の根本的原因を探り、病気にならないようにすることを治療とは考えていないような感じがします。

メタボ検診なるものの案内がうちにも来ました。

病気予防というコンセプトはいいと思うし、 生活習慣、食生活などを指導する方法は悪くはないと思いますが、 方法論は対処療法的です。ウエストのサイズと血糖値、コレストロールなどごく限られた検査項目の数値を下げることが、直接的な目的のような印象です。

最初に整体というものに抱いていたイメージも、対症療法的でした。
考え方そのものが、表に現れた現象(症状)を消す、抑えることが問題解決だと無意識に刷り込まれたいたのだと思います。

対症療法はもぐら叩きと同じです。
一つ叩き潰せたとしても、じきに別のところに顔を出す。
その繰り返しです。 原因をつきとめ、それを解決しようとしないからです。

整体を対症療法的に行う方法もアリだと思いますが、私はクライアント(患者さん)には再発しなくなることを目標にしていると言っています。だから、根本的な体調が乱れても、自力で経過できるような状態まで持っていくことを、目標にしたいと思っています。

症状を再発させないためには、やはり生活習慣を変える必要があります。 それをいかに抵抗感を少なく、自発的にしてもらうかが実現のポイントになります。

それと心の問題も大きいと感じています。
腰痛だって、ストレスが原因の場合があります。
考え方の方向性、心に常に持っているイメージ、思考パターン、感情や情動の発現パターンも変えないと、症状は異なっても、いつか再発してしまうリスクを抱えたままです。

全ての人は必ず死にます。体の衰えは自然なことで、体調に波があり、不調が現れることも自然なことですが、 私の理想は、不調は自然に経過し(治まり)、やがて自力でいい体調に戻ることと、 死ぬときには、やりたいこと、やるべきことをやりつくし、全ての力と能力を使い切って、 静かに自然に死んでいくことです。

私の施術(体の調整)を通じて、一人でも多くの人に、この世での最期のときまで、健康で楽しく幸せに過ごしていただければと思っています。

会話も施術のうち

会話が施術に果たす役割は大きいと感じる今日この頃です。

特に不定愁訴と呼ばれる、病院の検査では異常がないと言われている、心身の不調を抱えた人たちにとっては…

うちの場合は、症状がひとつだけという方はむしろ少ないです。 首肩のコリと痛みがあり、腰痛もたまにあり、腕がしびれることもある、というようなケースはよくあります。

施術はそれぞれ個別に対応するわけではなく、全身を調整し、自然に回復していく過程を促進し、それでも残る不調は個別に対応する、というのが、一般的な施術の進め方、手順です。

しかし、それだけでは十分でない方もいらっしゃいます。

例えば…10年以上、体の不調が続いている方。
症状は多岐に渡っています。

・喉からお腹にかけての違和感
・顎の違和感と痛み
・倦怠感
・頭痛
・めまい
・背中のコリと痛み
・食欲不振
・不眠
・不安感、漠然とした心配

などなど

全ていっぺんに出るわけではありませんが、施術で一箇所改善しても、もぐら叩きのように、次の症状が出てくる感じです。

病院にも通っていらっしゃいますが、基本的には安定剤など症状に対応する薬を処方されるだけのようです。

施術後に体の感じ方、気分などを尋ねても、軽くなったことは自分からは伝えず、残っている痛みや不快感、違和感を伝えられます。

回復が遅い人に共通の傾向ですが、症状が多いだけに、個々の症状を追っていくような施術をしても、いたちごっこの気分になることも…

もちろん、胃に不快感を感じていて食欲がない、と真っ先に言われた場合は、全身の調整の後に、胃に対する手法を試みることもあります。 それで、夕食は食べられそう、という状態になることが多いことは確かですが、それで胃に関しては全て解決!ということにはなりません。施術効果の持ちが悪いというか、症状を呼び出してくるような感じがすることもあります。

あるとき自分の施術がこの方の回復に役立っているか、改めて聞いたことがあります。といっても直接ではなく、この人の潜在意識にですが。

初回の検査時に、自分の施術で回復するかどうかは必ず(潜在意識に)尋ねますが、そのときは、私の手に拠る施術(手技だけの施術)が効果を上げているかどうか?と尋ねました。

答えは「No」

ちょっとショックでしたが、半ば予想はしていたことでした。

もちろん、これだと、施術を中止しなければなりません。私の整体師としての良心に照らし合わせても、何度か確認しても、効果が無い、と出たら、施術しても無駄(効果がない)だと伝えることにしています。

そこで、会話は回復に役立っているか?と尋ねました。

答えは「Yes」

さらに、会話を前提とした手技に拠る施術は、効果が上がっているか?
と尋ねました。

答えは「Yes」

つまり、精神的、心理的な面への働きかけが無い場合は、(この方のようなケースの場合)施術は効果が無いということです。

確かに、この人の場合、施術時間と比べて、最初に会話している時間がかなり長いです。会話といっても、私がきっかけになる質問をすると、この人がずーっと自身のことを話し、それに対して、内容を掘り下げるような質問を自分がしたり、今後の方向性のようなアドバイスをしたりすると言う流れになります。

金銭を媒介とした仕事であり、来院される方は、確実に目的を持って来ています。痛みや不快感から解放されたいという明確な目的を持って。

当然ながら、患者さんはその点に関してはほとんどの方は真剣です。判断基準がどうあれ、自分にとってここは必要かどうかははっきり判断しています。

だから、こちらも回復できないときは、はっきり伝える責任があると思っています(私の場合は、「改善」ではなく「回復」するかどうかを、最近は聞くようにしています。多少軽くする程度でも「改善」に入るからですが、それでは私自身は納得できないし、患者さんも安くもない料金を払うのだから、ドラッグストアの鎮痛剤程度の効果では、納得しないと思うからです)

今回のことでわかったことは、施術は手に拠る技術だけではないということです。とはいっても、何も流暢で楽しい雰囲気の会話が必要だとか、施術の前提だとか、私は言うつもりもないし、必ずしもそうは感じていません。スマイル・セラピーをするつもりもありませんし…

施術者が必要とする「会話術」とは、症状を維持する方向で感じ、考えている患者さんの精神的傾向を、会話や施術を通じて、方向転換させることだと思います。

年齢と経験と知識は、新たなことを始めるハンデになることがありますが、この仕事においての会話術に関しては、アドバンテージになっているようです。とは言っても、会話というか、カウンセリングの実際的な技術を勉強する必要は感じています。

イメージトレーニングと整体

毎日オリンピックを見ています。
世界の超一流アスリートをまとめて見れる機会は、オリンピック以外にないからです。

ボルトの100メートルは凄かったです。 ゴール前で余所見してたから、9.69秒でもまだ余力があるようでした。

良く観ていると、選手はレースの前に目を瞑ったりして集中力を高めているようです。解説者によると、そのときに、理想のレース展開や競技のイメージを浮かべているらしいです。

科学的にも、体を動かすイメージを浮かべると、それに対応した筋肉が刺激を受けることがわかっています。

逆に、怪我などした治癒した後で、肉体的には回復していても、負傷時の痛みの記憶が強かったりして、負傷した部分を使うことに恐怖感を持ってしまった場合は、なかなかその部分を使えるようにならなかったり、体が動かないようです。 これは人に限らず、犬や猫などの動物でもあるようです。

だから、肉体的な治療と同時に、心理的な面でも「大丈夫、この腕は今まで通り使える」というように思い込ませ、不安を払拭することが必要になってきます。

それをさらに先に進めてみると、(足を)骨折していても、体を支えているのは筋肉の緊張なのだから、歩けると思い込ませると、歩けるし骨も早くつながるという話を聞いたことがあります。

整体の施術も同様で、漠然と機械的に手技を実行していても、効果がないとは言いませんが、目的意識がある場合と比べたら、効果が低くなると思われます。

これは施術者(整体師)だけの問題ではありません。施術や治療は患者と施術者の協同作業ですから、患者(受ける側)も、自分がどこを何の目的で施術されているのか意識することが、治療(施術)効果を高めることになるはずです。

肉体と心はひとつというのが、私の信じる整体の信条なので、施術中に心と体がバラバラで、別の方向を向いていたら、効果的な施術ができないと思っています。
だから、毎日、施術する前に、精神統一するようにしています。

行動の意味を知る

先日、所属団体の技術研修会に参加してきました。

最近は、自分の技がいまいちの点は、わかるようになっているので、 その部分を特に指定して、ベテラン講師の先生に見ていただきました。 案の定、形だけはそこそこでも、技の本質的なことをわかってないものは、指導の先生のものとは、患者役の方の体の動きは違っていました。

午前のパートナーは、腰と股関節付近が痛むということで、練習というより、治療になりましたが、ほぼ痛みは消えたとよろこんでくれたので、私もうれしく感じました。

午後からは応用手技の練習でした。

全てを使うつもりで手技のレパートリーを全部見てみると、 最初に感じた以上に種類があると感じました。 それらの全てを最適な場面で使えて、しかも患者さんに手技の効果と意味を的確に説明できるようになることは、技を知れば知るほど、 そうカンタンにできることではないと感じました。

私の使っている手技と施術方法は、基本的に、力で体を変えるものではありません。
手技と力のかけ方は、体に変化のきっかけを与えるためで、その技を使って、どう体を変化させたいのか的確にイメージすることの方が重要です。それと自律神経の働きを使う手法なので、患者さんの呼吸を観て、それに合わせること、呼吸の力を使うことも大切です。

研修でも、それがわかってないと、練習の意味が希薄になるということ以上に、危険を伴うことがわかりました。 研修が終わって駅の階段を昇り降りするときに、膝の両端に痛みが走りました。思い当たることは、下肢の練習です。練習相手は、まだ経験の浅い方でした。呼吸は無視、自分自身が人一倍力があるのに、弱いと物足りないというような理由からか、その力加減のまま、相手(私)に技をかけていました。 しかも、世間的常識の「(大きな)力をかければ、ものは曲がったり変化する。力が弱いと変化しない」というような思い込みが強いような人でした。

単に、相手の腕や脚などを強く握ったり、多少捻った程度では、体はそう簡単には壊れないと私も思いますが、考え抜かれた技で、力を入れるポイントを押さえて、必要以上の力をかければ危険です。場合によっては、簡単に体を壊してしまいます。

自分がやっていることの効果を信じていない。もっと言えば、自分が習った手技の本質を理解してない、効果を疑っているような人、さらに、相手のことが観えてなく、意識が自分の方や自己満足にばかり向いている感じの人は、施術をする意味も効果もだけでなく危険だと思います。

これを広げて考えると、自分がやっていることの意味と、それが他者(相手や社会)に及ぼす影響や効果を考えないで、ただ習った通り、惰性でやることは、人生の意味を希薄にすると思います。

どんなに貴重な知識を学んでも、優れた技を教えてもらっても、自分自身ではその意味を考えずに、適当にいいかげんに、形だけやっていても、進歩しないでしょうし。

膝は帰宅してから、自分でできる手技を施し、風呂にゆっくりつかったら、翌日には痛みはほぼ消えてました。

これは、ちょっと危ないかなと感じたにも関わらず、技の力を甘くみていて、注意しなかった自分の責任でもあります。でも、(膝が)痛い人の辛さが改めてわかったことと、適当に手技を使う危険性を認識できたました。いい教訓だったと思っています。