主役はクライアントさん

薬事法で縛られているので、整体では「治療」という言葉は使えません。
「施術」という一般にはあまりなじみのない単語が使われています。

接骨医(柔道整復師)と鍼灸師は、国家資格ということもあるのか、「治療」は使えるようです。
したがって、整体業では「治療院」という名前は、引っかかる可能性があるので、
使っているところはごく一部のようです。

治療という言葉とセットになっているのが「患者」です。
これも、法的なことは厳密には知りませんが、整体学校などでは、使わないようにと指導しているところが多いようです。

「治療」も「患者」も一般的な言葉なので、わかりやすいので整体の説明などにも使いたいとは思いますが、厳密な意味(法的にも)で病気の診断ができるのは、国家資格を持った医師だけですし、あらゆる治療行為が許されているのも医師だけです。

それを踏まえて言えば、我々整体師や療法師は、「治療」を行っているわけではなく、来院される方も依頼者(クライアント)であっても、病気を抱えた「患者」ではないというのが、建前になっています。

法的な縛りがあるから、ということもありますが、実際に我々整体師が扱っているのは、病気の治療ではなく、痛みやダルさ、違和感などを薬を用いずに緩和・解消したり、膝や肩などの関節の可動域を広げることです。

カンタンに言えば、症状を解消することと関節の動きをスムーズにすることです。

治療でないというのは、ある意味言葉の彩(あや)ですが、整体師が症状(病気)を治すわけでないというのが、実際に施術を行っている者の実感です(そう思ってない整体師の方もいると思いますが)。

医院や病院に行く人というのは、医者や医療機関(病院の設備や薬など)に病気を治してもらいに行くという意識の人が、過半数を占めていると思います。

しかし、単純な引き算をすればすぐに理解できることですが、どんな名医でも、どんなに設備が立派な病院でも、どんなに優れた薬でも、生物としての人が生まれ持っている「自然治癒力」が働かなければ、病気を治すことは完全に不可能なのです。

逆に、医療機関にかからなくても、薬など用いなくても、自然治癒力さえ活発に働けば、大抵の病気や怪我は、自然に治ってしまいます。

我々はその手助けをしているだけです。
体の自然治癒力を活性化し、血液や栄養素の循環を良くして、不純物や老廃物の排出を促し、辛い症状を緩和、解消し、体の機能を正常に戻すきっかけを与えているだけです。
整体師の施術そのもので、体が治るわけではないというのは事実です。

さらに、親切な整体院なら、再び不調になって辛い思いをしないように、悪い生活習慣を改めるためのアドバイスや指導を行い、必要な運動方法や体の使い方の指導を通じて、運動機能の維持・向上を手助けします。

だから、あくまで主役は、不調を抱えた人(患者、クライアント)であり、整体師などは、それをサポートするサポーターとインストラクターなのです。

医師も基本的には同様ですが、我々整体師や療法師は、もっとその意味合いが強いと感じています。

したがって、痛みなどの不調が出たら、整体院や病院で治してもらえばいい、体のことなど自分は気を使う必要もないし、保険に金を払っているのだから、病院に行かないのは損だというような意識の人は、本音を言えば、無責任な人という印象を持ちますし、いずれ大きな病気に罹るだろうと思っています。

現代医学は生身の人の体を機械のように扱っています。悪い箇所は切り取ればいい。壊れた部品は交換すればいい(臓器移植や人口臓器、人口関節などの外科手術で治せるという発想)。

痛みを抑える薬を開発することが医学の進歩だと信じ、副作用があれば、それを抑える薬を投与することが治療だというイタチゴッコをしている限り、医療費は増大するばかりで、本当に健康な人はいなくなり、薬と医者と医療機関と医療保険でなんとか命をつなぎ生活している半病人が増えていく結果になると思っています。

自分の行動の結果に責任を持つのが大人だとすれば、最低限、自分の体くらい責任を持つというのが、正しい生き方だと思いますし、だいいち、健康は幸福の基盤ですし、心身共に健康でいるだけでも幸せだと言えるのではないでしょうか?

施術の新たな定義(目的)

整体(手技療法での施術、治療)の目的は、不快感を解消し五感を快適にすることだと最近考えています。

整体における五感とは、まず、触覚、聴覚、視覚、味覚、臭覚のことです。
それらの感覚は、脳の中で統合され、具体的(世界として)に認識されます。
五感に対応する症状としては、触覚は痛み違和感しびれなど。聴覚は耳鳴り、難聴など。視覚は目のかすみ、(視覚的)平衡感覚のバランスの崩れ。味覚は味覚異常、味覚を感じない。臭覚は臭いがしない、異臭がする。などです。
全てではありませんが、当院のクライアントさんの中には、上記の五感に対応する症状をお持ちの方が実際にいらっしゃいます。

五感は脳と密接に関係し不可分だから、整体は心の問題とも密接に関係してきます。

身体的(物理的)には、違和感がなくなっている状態(のはず)でも、脳内に投影 された違和感が解消しない限り、不快感は解消しません。

仕事(施術)の目的に定義を、「五感を快適にすること」とした場合、
身体的な状態だけを問題にしているのでは、片手落ちになります。
究極的には、痛みも違和感も不快感も快感も無感覚さえも、
脳(心)で感じている(投影された)ものである以上、
心理面でのアプローチ(施術)が必要になる場合が出てくると考えています。

その意味において、施術家や治療家は、(人の)心理にも精通してる必要はあると考えています。

ただし、五感の不快感の解消は、心身の状態を整えた結果としてあるべき姿です。

不快感(だけ)を取り除けばいい、五感(脳)で快適、快感を感じさせればいいという ことなら、麻薬や痛み止め、向精神薬、そしてアルコールなどを服用すればいいからです。

そのような手段で五感を麻痺、遮断して快感を得ても、その間に身体が破壊されて いくとすれば、そのような「治療」は、命を縮める逆効果しかないということになります。

整体におけれ施術は、あくまで心身、特に身体の状態を良くすることにあります。 そのバロメーターが五感の快適さであり、身体の姿勢や筋肉、骨格の歪み度合いということなのです。

患者として治療風景をながめると

歯医者に通っています。

整体師になる以前は、患者の視点しかありませんでしたが、今は別の視点、治療する側から観ています。

俯瞰的視点というか、第三者の視点というか、治療風景を全体的に少し距離を置いて観察しているもうひとりの自分がいます。

さすが、ベテランの医師の対応は、(整体師として)聞いていて参考になることがあります。

まず、
・現在の状態を検査・診察して説明する。
・治療方針と治療期間、回数を説明し納得してもらう。
・治療中、痛いかどうかたずねる。
・次回の治療日を指定する。
・患者に現時点での体調をたずねる。
・治療の進展状況を説明する。
・料金について説明する。

一昔前の医者なら、これほど丁寧には説明しなかったと思いますが、今、インフォームド・コンセントの考え方が普及しつつあるためか、いい医師は、患者に納得してもらいながら治療を進めているのがわかります。

これは、整体の施術にも全て当てはまることだと感心しながら聞いていました。

症状の軽重と施術効果

症状が軽い方が施術効果がカンタンに出ると思われるかも知れませんが、実際は逆の場合が多いような気がします。

痛みや動きの不自由さが大きいほど、それが解消したときのギャップが大きいので、効果もはっきりと自覚できるからです。

逆に、それほど辛くはないが、何となく気になる、違和感がある程度だと、施術が体に影響を与えていても、本人が自覚できないこともあるようです。

さらに、人は痛みは強く自覚しますが、痛みが消えると、その瞬間だけ意識がそこに向きますが、じきにもう痛みなど前から存在してなかったかのごとく感じることが多いようです。

痛みがちょっとした、一見カンタンそうに見える、短時間の施術ですっきりと消えたときの一般的な反応は、ちょっとした驚きと不思議そうな顔です。

僕は気功師でないし、生まれつき特殊な才能を持っているようなヒーラーでもありませんが、ちょっと体に手を触れて、少し動かしたり、場合によっては、手を触れているだけで痛みが完全に消えるようなときもあります。

そんなときは、「鎮痛剤でも飲んだ直後に痛みが消えることはないのに、この人は今、何をしたんだろう?」というような顔をされますが、基本原理は、母親が怪我をして痛がって泣いている子供を抱いて撫でさすってやると、痛みが消え、泣き止むことと同じ理屈だと思っています。

人生って、何だろう?

2009人間関係も含めたさまざまな環境や状況の変化が起き、何か自分と世界との間に裂け目というか距離感が生まれたときに、ふと浮かんでくる考えがあります。

その考えは、例えば、薄暗い蛍光灯の下で食後に食器を洗っているときなどに浮かんできます。

「何のために生きるのか?」

「こんなことしてて、何になるのか?」

「何のために生まれてきたのか?」

これは、とても根源的で普遍的な問いです。

何にでも直接的でストレートな表現や行動が好みの僕としては、その答えはこうです。

「生まれてきたから、生きているのだ」

「生きるとは日常的なことの積み重ねだからだ」

「死ぬために生まれてきたのだ」

実も蓋も無い答えですが、自分ではこれが真実だと信じています。

もちろん、このブログでも、直接僕を知っている割と親しい人になら、事あるごとに社会的な問題意識やその自分なりの解決策などを言葉で表に出す程度のことはしてきているので、僕が社会的な役割や義務のようなことに無関心でないことはご存知だとは思いますが、でも、もっと根源的な部分では、社会的な役割や問題などに対する意識や貢献などは、社会的に行き続けていくために人為的に必要としていることに過ぎず、本質的な部分では、はやり「生まれてきたから、ある意味しょうがなく、否応もなく、死ぬまで、行き続けているとしかいいようがありません。

といっても、他者や社会やこの世界全体に対する自分の位置づけや意味づけを否定しているわけではありません。

言いたいことは、たぶん、(自分でもはっきりとしませんが、なにせお皿を洗っているときに浮かんだ問いかけですから)人間が考えついたこと、人生や人生における行動の全ての意味づけなどは、世界と自己の存在の間に亀裂が生じてしまった人類が、世界とのつながりを保って生き続けていくための方便でしかないような気がするということです。

般若心経では、物体には実態はなく、実体がないのが物体だと言っています。さらに、感覚や意識といった精神的な作用も同じだということです。すべての現象には実体がないのだから、生じることも滅することもないのだそうです。

僕が思いついたことなど、仏教の真理に比べれば、うすっぺらいものでしょうけど、人がこの世界や人生に対して考えた意味や思想、さらには、さまざまな制度や物質的な創造物、感情や感覚さえもが、実体はなく観方によって様々に変化し、移ろい、確固たる不変的な物としては存在しえないという思いは、限りなく仏典が説く真理に近いような気はしています。

人はこの世に生まれてきたから、生きている。それに意味を与えるのは自分自身であり、その意味自体には、何の絶対的根拠もない。いいかえれば、自分が生ていくのに都合のいいように意味づけしているだけ。

唯一真理と言えることは、この世に生まれてきたものは、近い将来に確実にこの世から去っていくということだけです。

人がすること、人が関わることで、永遠の存在などないし、どんなに愛する人でも、自分から去っていくときが来ます。霊魂があるのかどうか、僕は知りません。親しい人の何人かは、既に亡くしていますが、自分の想念や記憶以外で、彼らの存在や霊魂を感じたことはありませんから。

死んだ人の供養が大切だと言われますが、たとえカンタンには会えない状況に居たとしても、その人が生きているうちに何かをすることの方が、はるかに大切だと思います。お墓参りを頻繁にして墓掃除や仏壇をきれいに磨いたところで、生前にその人に十分なことをしてあげられなかった悔いや心の空虚さを埋めるために、自分のためにしているだけの話だと思います。と言ったら、年配の人から激怒されたことがありますが、死んだらお仕舞だと誰でも心の底では思っているような気がします。

墓参りなど頻繁にするより、今、生きているうちに、今、生きている大切な人と自分のために最善を尽くすことの方がはるかに大切だし、現世的には(この世に今生きているのですから)意味のあることだと思います。

般若心経で言っているのは、たぶん、人は虚空(宇宙)から来て、しばらくの間、この世に滞在して、また、虚空に帰っていくのだ、その間の出来事には、実体はない。といっているのだと思いますが、だとすれば、人生など夢のようなものですし、人と人との出合い、その間に体験する様々な感情なども、風のようなものなのでしょう。

そう思えば、辛いことがあっても、なんとかやり過ごすことができそうな気がします。

食料自給率を上げる献立!

日本の食糧自給率は4割に満たないそうです。

豚や牛などの家畜の餌を輸入していることを考えると、自給率はもっと低くなるという話もあります。

輸入した方が安いのなら、食料を輸入すればいいと思っている人は多いと思います。

でも、地球温暖化の影響で、世界的な気候変動がもう始まっています。

今は食料が豊富にできて、輸出している国でも、不作になって自国の食料が足りなくなったら、絶対に輸出してはくれないでしょう。

さらに、原油高騰の影響と地球温暖化防止の名目で、バイオ燃料が増産されています。
アメリカなどでは、コーンをバイオ燃料の原料として増産しているので、小麦などの食用の穀物の作付け面積が減り、価格が高騰しています。

これは遠いアメリカの話ではなく、小麦などは9割以上が輸入ですから、日本でも小麦を原料とする加工食品が値上がりしていることは、ご存知だと思います。

政治家、特に与党や民主党の政治家は、防衛力が必要だとさかんに強調していますが、自国民の食べ物を自給できてない国を攻撃し言いなりにさせるのは、カンタンなことです。

武器を使う必要はありません。日本に食料を輸出している国なら(アメリカ、中国、オーストラリア、ブラジル、タイなどなど)食料の輸出を止めればいいだけです。

あるいは、食料の大部分は船で持ってくるので、海上封鎖でもされたらひとたまりもありません。

だから、最大の防衛手段は、一機100億円以上もする戦闘機や一艘1000億円以上もする護衛艦などを沢山そろえるより、食料自給率100%を目指すことです。

食料自給率を上げる一番カンタンなメニューを紹介します。

(1)牛や豚を食べる量を減らす。
(2)鳥や魚を沢山食べる。
(3)パンやパスタ、ピザなどを減らし、ご飯を沢山食べる。
(4)野菜などの生鮮食品は安い中国産などではなく、国産のものを買う。

これだけで、数十パーセントは自給率が上がることは確実だと思います。

これらを使ったメニューのメリットは沢山あります。

(1)防衛力増強になる。
(2)肥満防止になる。
(3)国内の農業が救われ、農村部(地方)の経済が活性化する。
(4)健康になる(農薬や保存料、添加物が多い輸入食品が減るから)

防衛力を高めるためというのは、半分冗談みたいなものですが、
健康のためにもなりますので、ぜひ、実行してみてください!

ブレスチェッカーで口臭チェック

整体師という仕事がら、クライアント(患者)さんと直接体を接しています。
性的な意味では、もちろんありませんが(笑)

社会人としてのマナーでも当然ですが、体臭などを感じさせるのは、仕事上まずいので、毎朝シャワーを浴びたり、施術毎に手を洗ったり、清潔には気を使っています。

体臭は自分ではわかりづいらい面がありますが、体臭の中でも口臭の場合はもっと自分では正確に判断がつきません。食事したら歯を磨くようには心がけていますが、施術の合間に摂る昼食のときは、なかなか歯磨きを励行できていません。

半年に一度くらいは、歯石を取ってもらったり、胃腸の調子を整えておくように心がけてはいますが、直接自分では判定しにくい口臭は、少し気になっていました(クライアントさんと会話するときだけでなく、頭部を施術するときには、顔と顔がかなり近づきますから)。

今、食料は生協の宅配を使っていますが、日用品のカタログもあります。その中に「ブレスチェッカー」という商品名の、口臭を判定する機械が載っていたのです。

臭いという微妙な物質なので、正確に判定できるか半信半疑だったのですが、ネットで検索したらカタログより安く(3000円くらい)出ていたので、試してに買ってみました。メーカーはヘルスメーターで有名なタニタという会社です。ちなみに以前板橋に住んでたときは、タニタ本社がすぐ目と鼻の先にありましたので、なんとなく親近感がある会社です。

食前食後、歯磨きする前と後など、口臭の程度が違うであろう状態で何度か計ってみました。6段階あって、0(ゼロ)は口臭がしない状態で、5ははっきり口臭がする状態です。

納豆を食べた直後は、5でした(苦笑)その後、歯を磨いたら1程度になりました。納豆ほど臭いがはっきりしない食事のときは、3から4くらい。
食事内容に関わらず、歯磨きとその後のうがいを徹底すると、ほぼ0になりました。この結果から見ると、口臭判定器は、ある程度は正確に判定できているようです。

口臭の有無は必ずしも清潔度やエチケットの問題だけでなく、口内や消化器官に異変があったりすると口臭がするなど、体調面でのチェックポイントにもなります。気になるようでしたらチェックしてみたらいいと思います(家族と同居の人は、家族同士でやってもいいと思いますし、一人暮らしや家族同士でも抵抗がある人は、口臭判定器をお勧めします)。

命を育む水

先月、前々から欲しかった浄水器を買いました。水道の水が不味く、安全性に疑問を感じたからです。

集合住宅に住んでいるので、水道水は、タンクに貯められたものが蛇口から出てきます。水道水が不味いのは、築20年以上経っている住宅のタンクの汚れにも原因があるのではと思っています。

それでも料理には水道水を使っていました。煮沸して、味付けすれば、水道水の不味さは感じなくなるからです。

飲料水としては、スーパーで提供している浄化された水を汲んできていましたが、注意書きには3日以内に使い切ることと書かれているので、週に2回は汲みにいかなくてはなりませんでした(それでも1週間以上経った水を飲むこともありましたが)。

10年以上前になりますが、水道水が不味いこともあり、水分は牛乳とジュース、コーヒーなどで補給していた時期があります。その結果だと思うのですが、中性脂肪が基準値よりかなり高くなりました。水分は、基本的にはよけいな成分の入ってない、真水から摂るのが健康のためにはいいようです。

浄水器はドイツ製のポット式のものです。塩素やトリハロメタンなどの除去率は、80%ということなので、スーパーのほぼ100%近い除去率より劣りますが、料理にも気軽に使えるようになったので、トータルでは、塩素などを摂取する量は減ったと思います。何より、暑い時期に水の残量を気にせず、ガブガブ飲めるのがいいと思っています。

地球は宇宙から見ると青く見えます。地表の3分の2は水=海だからです。地球を「水の惑星」と呼ぶこともあります。人間の体も、成人では体重の約60%が水分なので、地球と相関関係があるような気がします。

人間の体液の性質は、海水にかなり似ています。体液は細胞がスムーズに活動できるように、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウム、塩素といった成分が含まれていて、それらが常に一定のバランスになるように調整されています。この調整機能をホメオスタシス(恒常性維持機能)と言います。

体液の成分は、海水に近いことからも、新生児の場合は80%にもなるそうですが、年齢と共に水分は減っていき、高齢者の場合、50%を切ることもあります。

生物は細胞の集合体です(単細胞生物とウイルスは除く)。細胞はタンパク質、核酸、糖質などの生体高分子と呼ばれるものと、脂質やイオンなどが複雑な構造で組み合わされてできています。水(水分)はこれらの要素を結び付ける役割を担っています。この細胞の中で、水の分子が絶え間なく流れ、生命を維持しているのです。

生物は一見固体に見えますが、ほとんどが水(液体)でできています。
例えば、トマトの90%は水です。リンゴは85%、魚は75%、クラゲは96%までが水です。

生命体にとって、水は生命を育み維持するために必要不可欠の要素です。だから汚染された水を摂取し続けていれば、健康を害することにつながります。

水道水に含まれる主な有害物質としては、

●総トリハロメタン
消毒副生成物として、浄水場での塩素剤添加後に発生し、発ガン性があるといわれている。水道水中の残留塩素と有機物(アンモニア性窒素、フミン質)が反応して生成される)。

●トリクロロエチレン(有機溶剤)
ハイテク工場などで使用されている機械部品などを洗浄剤の成分で、工場排水等から地下水に混入する可能性がある物質。中枢神経障害の原因になるといわている。

●シマジン(農薬)
林野、ゴルフ場等で使用される除草剤の一種。雨などによって地下水に混じり、水道の原水に混入することがある。

などがあります。

命の素と呼んでもいい大切な水が、このように汚染されているのです。健康で快適な生活を実現するためには、水の問題を抜きにすることはできません。

完璧とは言えませんが、浄水器は健康を守るための必需品といえるのではないかと思います(水質の悪い都市部では)。

NHK朝ドラ「つばさ」

今、NHKで放送している朝のテレビ小説「つばさ」は、川越が舞台で、僕の整体院から歩いて10分ほどのところで撮影していました。

クライアント(患者)さんの一人にちょうどドラマの舞台になっている町内で、主人公のつばさと同じ和菓子屋の娘さんがいます。

彼女もエキストラで出演したとかで、ドラマの終わりに紹介される川越の人の写真に彼女も写っていたと、嬉しそうに話てました。

室内のシーンが多く、撮影は基本的にはNHKのスタジオのセットで行なわれているようですが、たまに写る川越市内や町並みのシーンは、現地ロケだそうです。

3年前、僕は整体師になって開業場所を探していました。川越市に住んでわずか2年ですが、歴史と町に奥行きが感じられ、東京より落ち着いていて暮らしやすく、とても気に入っています。

ドラマがはじまってから最初の日曜日に、蔵の町のメインストリートを通りましたが、暖かくなったせいもあり、いつもより人出が多かったようです。ドラマのおかげで川越の町がいっそう好きになりました。

テレビ報道、ドラマなどでも、東京を中心に大阪などの大都市が取り上げられることがとても多いせいか、我々は自分の周囲しか知らず、同じ国の中でも知らないことがとても多いと思います。

もっと地方のいろんな人々の暮らしをとりあげたら、この国のこと、この国の人々のことが、もっとわかるようになり、いろんなことが見えてくるような気がしています。

自然の力…山歩きで元気を取り戻す

2週間ほど前になりますが、電車で40分ほどのところにある小さな田舎町まで足を伸ばして、春の雰囲気を感じてきました。

越生という名前の町で、行くまで知りませんでしたが、梅園がいたるところにあり、梅干の産地のようです。郊外の里山という雰囲気のあるところを歩いていると、とても上品で芳しい香りがほのかにしてきたので、どの花の香りかと周囲を見回すと、梅の花が満開でした。花に鼻を近づけてみると、芳しい香りがします。生家の庭にも梅の樹はあったので、その香りは全く初めてではないはずですが、梅干のすっぱいイメージがある梅の花が、こんなにも気品ある香りがすると、はっきりわかったことに、少しだけ感動しました。もうかなり人生経験を積んできたと思っていても、まだまだ知らないことや新たは発見は沢山ありそうな気がしてきました。

なだらかな山が近くに迫ってきているので、そちらの方に歩いていくと、山道に続いています。登山というほどではありませんが、そのまま歩いていくことにしました。

5年ほど前に富士山に登頂してから、下山時に発生する膝の痛みがひどくなったようで、あれほど好きだった登山からここ数年遠ざかっていました。3年ぶりくらいの山歩きだったせいか、身体が喜んでいるのがわかりました。

ハイキングをするつもりもなく、なんとなく山に入っただけなので、3時間ほどで下りてきましたが、その間、ほとんど休憩しなかったにも関わらず、身体はほとんど疲れませんでした。逆に、山の大地と植物からいっぱいエネルギーをもらったように感じました。だから疲れるどころか元気になったのでしょう。下山のときは、膝に負担がかかるので、やはり痛み出しましたが、平地に出てしまえば、ほどんと痛みは感じなくなります。

下りた場所が、上り口の反対側だったため、そこから駅までは1時間ほども歩きましたが、舗装された道をクルマに注意しながら歩いたので、山道の3時間より疲れてしまいました。

人の身体の不調を癒す仕事をしているのだから、自分の体調は常にいい状態にしておく必要があります。東京から多少は田舎に引っ越してきて元気度がアップしたとはいえ、たまにはもっと自然溢れる環境に身を置き、自然からエネルギーをいただいたほうが、心身共に元気になると改めて感じた一日でした。